« 新春・夢三題 | Main | 「あん」 ドリアン助川(著) »

不条理なニュースたち ~「自由」の存在場所

今朝のニュースで流れた国外の3つの話題を聞きながら、世界の情報を同時に得られる時代の「不条理性」とは何かについて、とめどなく思いを巡らせました。

最初がシリアの話題。反政府軍が首都ダマスカスの中心部に侵攻を始め、政府軍は空爆で反攻して、多数の死者が出ているという悲惨な内戦。「国」という単位で見れば、どう考えても「戦争」ではない方法で解決した方が得でしょうが、「国」という単位での理性が持てないから起きる不条理でしょうか。

次は、米国東海岸を低気圧が襲っているという話題。ボストン市内で50cmくらいの積雪が予想されるとのこと。実は、妻が某雑誌の編集者と電話をする約束をしていたのが、ボストンのオフィスがクローズされるから予定を変えるからゴメンねというメールが来て、気になっていましたが、50cm積もると、北国なのに雪に弱いボストンは、しばらく完全に動かなくなります。

最後は、ブラジルのリオデジャネイロで真夏のカーニバルが始まったという話題。何ということもない話ですが、地球儀で見れば縦に並んでいるボストンとリオで、かたや寒波で人が死ぬかもと言っている中で、かたや炎天下で踊って熱射病で死ぬ人がでるかもという状況は、地球単位で見れば不条理ですね。貧困で飢餓に悩む国と、飽食で肥満に悩む国という対比も、よくされます(アメリカの肥満は貧困層の問題ですが)。

こんなことを考えていたのは、哲学・倫理学のゼミの大学院生との対話の中で、自由意志の存在の有無、自己実現とは、理性とは、という話題になったからです。

私たちは、「自己・理性」あるいは「自由」という言葉を、何となく一つの(不変で、絶対的な)モノとして考えがちですが、ぼく自身は、「自己」も「自由」も「理性」も、階層性、多様性、あるいは、多数性を持つ、相対的なものとして、とらえています。つまり、自由意志は、「あるとかない」という「二分論的」議論には、意味がないと考えます。

突拍子もない議論に聞こえるかもしれませんが、「私の意志」とか「私の自由」ではなく、「私の右手の自由」とか、「私の右脳前頭葉の理性」というものも考えられる。「私の体全体の自由」が問題になるのは、「私の体全体」が、環境(社会)との関係性で選択を迫られる場合に出現するものなので、一般的に言われる「自由意志」があるかという問題設定が必要になるのは、社会との関係性の中「だけ」です。逆に、個体レベルを超えて、夫婦の「自由」とか、自治体の「自由」、会社の「自由」、国の「自由」も想定可能で、当然、その各レベルに対して「意志・理性」が想定可能です。

このような「自由」のレベルを、一番よく「体現」しているのは、カナダの頭部結合のシャム双生児の例と思います。彼女たちは脳がつながっているので、感覚も共有していますが、別々の個性をもっています。そして、口も二つあるので、二つの異なる意見を同時に話せます。でも、行動は常に同時なので、意見の対立があっても、外部からは、場合によっては「一人」として対応せざるをえないですし、彼女たちも、最終的には、どちらかの意見に従います。彼女たちには、それぞれの「自由」が、あるいは「自由意志」があると言えるのでしょうか?

こう考えると、種々のレベルでの理性的でない行動や、不条理性も想定できます。最初のシリアの内戦など、人間一人のレベルで考えると、自己の臓器を自己の免疫系が攻撃してしまう自己免疫疾患のように見えます。免疫系は自分のミッションに従っているわけですが、個体としてはマイナスです。もちろん、免疫系には、自己の行動を監視するシステムが備わっていないので、免疫系に「理性」はない。でも、シリアの内戦を行っている人たち、それを、外側から何もできずに見守っている私たちには、一応、「理性」が備わっているはずです。でも、まあ、たいしたことはできないようです。これは「理性の限界」と呼ぶのが適当かもしれませんが、「限定的な理性」、つまりレベルの問題とも考えられます。

などと、久しぶりに哲学的に考えていました。

|

« 新春・夢三題 | Main | 「あん」 ドリアン助川(著) »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 不条理なニュースたち ~「自由」の存在場所:

« 新春・夢三題 | Main | 「あん」 ドリアン助川(著) »