恩師との再会:大樹寺・堀田岳成先生
先日、東海中学・高校時代の恩師を訪ね、久しぶりにお目にかかることができました。
堀田岳成先生は、ぼくが東海中学時代に習った先生で、卒業後も年賀状だけは欠かさず出してきました。東海中学は浄土宗の学校で、堀田先生は学校の近くの高岳院というお寺の住職もされながら、東海学園の理事長も長く勤められました。理事長を退任された後、平成17年に岡崎にある大樹寺の第六十三世貫主となられました。
堀田先生は、東海という学校の伝統と雰囲気を最も代表する先生で、ぼくにとっては、最も尊敬する先生であり、非常に厳しく、よくしかられましたが、同時に可愛がっても頂き、何でもわかってもらえる(見透かされている)先生というイメージです。卒業後も何かあると思いだしていましたし、最初の著書を書いた時にも、お送りしましたが、なかなかお目にかかる機会がないまま、今になりました。
実は、先生の移られた大樹寺は、ぼくが幼稚園の2年間だけ住んでいた家のすぐ近くで、もちろんはっきりした記憶はないのですが、拝観に行ったこともある立派なお寺です。今の実家(安城市)からも比較的近いので、今回、長く帰省する機会に、思い切って連絡をしました。しかし、この歳になっても、電話をしている時は、直立不動で大汗をかきながら、ぺこぺこ頭を下げていたので、横でみていた連れ合いからは、何を悪いことをしたのかという目で見られました(笑)
堀田先生は、84歳になられたそうですが、毎週一度は、名古屋まで自分で運転してテニスをしているという元気さで、奥様もお元気そうで何よりでした。
相変わらずの、闊達なお話と、驚くべき記憶力には、圧倒され、元気を頂きました。次から次に、○○年卒のOBの△△が、□□した、という詳しい話が出てきます。本当に、いろいろなお話を聞きましたが、印象に残った話をいくつかメモします。
ぼくと同様に多数の卒業生が、何かあると堀田先生を慕って、相談や報告に来るそうで、フィールズ賞の森重文先生なども、いらっしゃるそうですが、司法試験を7回続けて落ちて、もう死にたいと言ってきたOBがいたそうです。堀田先生は、「じゃあ、そこの本堂で首吊ったらいいよ。あそこなら、阿弥陀さんが見ているから、絶対に極楽に行けるから」と、おっしゃったそうです。何と、その方は翌年の8回目で合格したそうです。何とも堀田先生らしい励まし方です。
選挙が近付くと、OBが応援して欲しいと言ってくるそうです。どの政党であっても応援していたところ、OBには民主党も自民党もいるので、二つの集会が同じ時間に同じ場所で重なってしまったことがあって、「わしでも、さすがに、ちょっと逃げ出してきたわ」と笑っていらっしゃいました。昔と変わらず豪快です。
実は訪問する前に、ぼくが最近、書いた文をお送りしていたのですが、それを読んで、「君の書いている『自己』の問題は、般若心経で言う真那識と阿頼耶識のことだね」と、付箋を貼った鎌田茂雄の般若心経講和を示して、勧めて下さいました。う~ん、やっぱり、この歳になっても、今でも見透かされているわけで、まあ、お釈迦様の手の上にいる気分を、また強くしました。まいりましたが、堀田先生を訪ねて良かったです。
ほんの短時間というお約束でしたのに、結局、奥様ともども2時間以上、おつきあい頂き、おまけに帰る時には、広い境内を歩き切って駐車場を出るまで、ずっと合掌して送って頂き、本当にありがたく、もったいない時間でした。どうも、ありがとうございました。また来ますので、お元気で。
#実は、今回の帰省は両親の介護目的です。母が転倒して大腿骨頸部骨折、父も認知症があり、9月から3度目の帰省です。父は堀田先生と同じ84歳。頑張れ!
#訪問後、以前、住んでいたあたりを少しだけ歩いてきましたが、思い出せないと思っていたら、家の近くにある特徴的な歩道橋が今もあったため、一気に思い出しました。でも、家から「少し離れた」近くのスーパーまで、よく買い物に行った覚えがあったのですが、何と3軒しか離れてませんでした。記憶の中の距離だと、少なくとも10軒以上の家の前を通って、遠くまで行った感じです。また、家の前の道が広くて渡るのが大変だと思っていたのに、歩道もないような狭い2車線の道で、幼稚園児サイズの縮尺を実感できました。
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