いじめ報道と飲酒運転、道徳と公共性
いじめについて、いろいろ報道されています。全く異なるものと思われるかもしれませんが、飲酒運転事故の被害者家族の言葉を聞いて、通ずるものを感じたので、メモしておきます。
昨年2月に高校生の息子さん、寛大(かんた)君とその友人を飲酒運転事故で失くした福岡の山本美也子さんの活動をTVで観ました。6年前に3人のお子さんが亡くなる、ひどい事故があったにもかかわらず、また、こんな事故が起きたわけで、印象に残っています。彼女は、その後、飲酒運転撲滅活動を続けてくれているそうですが、その言葉には本当に重いものがありました。
判決の時に、息子さんの友人が何人も傍聴に来ました。彼らは、ひとこと文句を言いたくて来たのですが、加害者を見て、「あまりにも普通の人」だったことに衝撃を受けたそうです。そして彼女自身も、「裁判の3日間だけは加害者のことを憎いと思いましたし、今でも許しているわけではありません。しかし、それよりも、ごく普通の人を加害者と被害者にしてしまう、飲酒運転に甘い社会に対して憤っています」と語っていました。加害者は、確かに罰を受けますが、一緒に飲んでいた人もいるし、お酒を出した店もある。誰かが、タクシーか代行を呼ぶよと言ってくれていれば、こうはなからなかったということです。加害者だけを責めても変わらない、その言葉は、そのまま、いじめの話につながると思います。
彼女のご主人は、交通事故で車いす生活をしている方で、そのお子さんが交通事故とは、運命は過酷なものです。お二人の活動の様子は、下記などに。
http://blog.livedoor.jp/heart_space/
実は、今年6月24日に、熊本市内でも、朝の通学中に高校生が飲酒運転事故で亡くなりました(詳細)。
この加害者はアルコール依存症だったようです。依存症ではない人が、少しの油断で起こす飲酒事故の問題と、アルコール依存症の問題は分けて考えた方が良い部分もありますが、飲酒運転に甘い、のは、飲酒そのものに甘い、のが素地です。依存症にならないよう、個人でできる努力も必要ですが、依存症になりやすい体質があることや、社会構造的な要因が大きいことを考えれば、個人を責めるだけではダメでしょう。飲酒や、その他の依存症について、社会のレベルで注意を喚起していかないと、飲酒事故撲滅はできません。脱法ドラッグ事故もありました。
いじめ報道でも、一部の意見は、それ自身が「いじめ」のように見えます。個人主義とか、能力主義とか、全て自己責任で他者を責める社会構造が、子どもたちに反映されていると感じます。上述の山本さんは、「お酒を飲まない人にも役割がある」と言ってますが、「いじめなどしていない(つもりの)」人にも役割があると思います。それは「他者の非難」ではありません。内田樹先生が書いていたことに共感しましたので紹介します。
いじめについて(内田樹の研究室)
いじめについての続き(内田樹の研究室)
(以下、私の言葉で一部要約してあります)
…子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。
…豊かで平和な時代は、共同体を維持する公共的な仕事は税金で行政がやる。そのため、個人は自己利益追求、「自分探し」、自己実現に専念できる。そして、あまりに長く平和と繁栄が続いて、ついに日本社会から「大人」がほとんどいなくなった。自分のことしか考えない幼児的な市民ばかりになった。自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保てない。
…学校の教員や教委を「いじめる」暇があったら、そういう「大人になれる」若者たちの登場をどうやったら支援できるのか、私たちはそれについて考えることに限られた資源を投じるべきではないのでしょうか。
これらの言葉に共感する「大人」になるのに、ぼくも時間がかかりました。昨年、河野哲也先生の以下の本を読んでから、さらに、その思いを強くしました。みなさまに、お勧めします。
こちらも、どうぞ
本当は恐ろしい日本の道徳/河野哲也
「どうして日本の道徳教育は、こんなにも辛気臭く、説教臭いのか」!
なお、「道徳は説教(精神論的なもの)でないこと」を、心身一元論的視点から考える、というのが、ぼくの最近のテーマです。
(追記) では、何か教育の現場で具体的な対策があるのか?とりあえず、「最低限の対策」として、消費税あげても良いから、小中学校の20人学級!は実現して欲しいです。今でも40人学級だなんて、先進国って、何のことでしょうか。
ただ、これも「他人任せ」の対策の一つでもありますので、各家庭レベルでできることを書いておけば、やはり学校教育に参加することだと思います。ぼく自身、決して誉められるほど、学校に協力はしてこなかったのですが、PTAの父親の会に入り、学級長をして担任の先生をサポートしたりしました。障害のある子の受け入れに、クラスの保護者から異論があった時に、話し合いを主導したこともありました。音楽やらスポーツやら、他の趣味は全てあきらめましたけど、「子育てが趣味」と言ってきましたので(笑)、好きで、楽しくやっていたと思われているでしょうし、実際、楽しかったですけど。
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