水俣病、原爆症の経験を福島へ 熊本市でシンポ:高岡滋先生のコメント
少し前になりますが、表記の内容のシンポが熊本で開かれました。
水俣病、原爆症の経験を福島へ 熊本市でシンポ
ぼくは、残念ながら聞きに行けなかったのですが、最近、東京新聞も原田先生の記事で紹介していたようです。
http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/9812-7d28.html
その後、このシンポにも参加され、長く水俣病の診療・研究を続けてきた高岡滋先生と、FaceBookでやりとりをして、いろいろ教えてもらったので、こちらにご紹介します。
やりとりの最初は、高岡先生が、以下のようにガンダーセンのビデオを紹介するところから始まりました。ぼくは、ガンダーセンの以前の発言が気になっていたので、批判のコメントをしたのですが、その後、話題の流れで、水俣の話をいろいろ教えて頂き、高岡先生が、何を心配されているのか、恥ずかしながら、ようやく理解できたという感じです。
●【高岡先生】
以前から気になっていたのですが、4月に、福島第一原発三号機で使用済み核燃料が1マイル以上吹き飛んだということをアーニー・ガンダーセンが言っていました。
これについて、9月8日、京都大学原子炉実験場の今中哲二先生に質問をしてみました。
今中先生は、使用済み核燃料プールが損傷していること自体を否定し、ガンダーセンの発言に根拠がなく信用できないと言っておられました。
このことには、三号機の爆発が核爆発であったのか否かを含めて、多くの人々が興味を持っておられます。最近、ガンダーセンが、三号機の使用済み核燃料プールの問題について、さらに掘り下げた意見を述べていますのでご紹介いたします。
http://bit.ly/qcOqqY
このビデオのひとつ前のガンダーセンの解説も追加しておきます。このなかで、NRCは、「燃料プールは損傷していない」と言いながら、1cmの燃料が1マイル離れたところで発見されたものを原子炉の中から出てきたと主張しています。ガンダーセンは根拠なしに述べているのではなく、具体的にNRCの報告書のページまで述べています。ガンダーセンは、燃料プールからのものであってもなくても大変なことと言っています。
http://bit.ly/oZDu6W
最初のガンダーセンのビデオを紹介したページも、プルトニウムについての情報を含んでおり、ホットパーティクルについてのガンダーセンの解説がありますので、紹介しておきます。
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-845.html
○【粂】
ガンダーセンは8月26日のビデオで2号機の使用済み核燃料プールの放射線レベルが「非常に高い」と述べていますけど、kgあたり8乗レベルで「非常に高い」って、「はぁ?」という感じです(笑)2号機原子炉がまき散らした放射能の総量を、この人は知っているのでしょうか?彼は定量的な議論ができないようです。今中先生が正しいと考えます。
●【高岡先生】
粂先生、コメントありがとうございます。とても参考になります。その他、燃料棒や燃料プールなどについては、コメントはいただけないでしょうか。
○【粂】
高岡先生、ぼくは原発の仕組みについては素人ですから、よくわかりません。燃料に使われていたプルトニウムが、ごく少量は飛散していることは明らかです。ただ、現時点では、セシウムなどの総量に比べれば、無視できる量ですから、その原因が再臨界だったのかとか、燃料がむき出しになっているかどうかなどは、あまり大きな問題だとは考えていないということです。(政府など公的機関だけではなく)民間で観測されているデータからも、漏出した放射性物質の9割は2号機の爆発によるものからなので、3号機の原子炉が吹き飛んでいるというのも、非科学的な推測と考えます。証拠は煙の色だけでしょ?本当にそうなら、現在あそこで作業している人たちが大丈夫とは思えません。ガンダーセンは、こういう定量的な疑問に答えていないですね。
最近、気になっているのは、福島で作った花火が拒絶されたという事件で、やはり、リスクについても、定量的・科学的な議論をしないと、水俣病の時と同じで、差別が起きてしまいます。低線量被ばくの影響は、確かに未知の部分が多いのですが、しかし日常生活の中の未知のリスクを、私たちは日常的に受容しているわけで、蓋然性のレベルでの議論を、もっとすべきと考えています。
●【高岡先生】
粂先生、お返事ありがとうございます。
本質的問題は、(わかりうる)本当の情報が東電・政府から発表されていないということなのです。プルトニウムの飛散について相対立する情報が存在することは知っていますが、どちらが正しいかはわかりません。どちらであったとしても、問題ないとは言えません。プルトニウムの毒性を動物実験や人体実験以外にどうやって証明できるのか私には思いつきません。疫学調査自体、同デザインすればよいか、私にも想像つきませんが、セシウムによるベータ線障害以外に、アルファ線の危険性は確立しているのです。(問題はその被曝量ですが・・・)ホットパーティクルの問題も、それを問題にする人としない人がいるということです。
3号機の原子炉が壊れているといっているのはガンダーセンではなくアメリカのNRCです。私にとっての問題は、ガンダーセンの言うことが正しいかということだけでなく、目視でも無事ではないだろう三号機で燃料プールが無傷であるという前提は誰でも疑うのが当然だということです。問題は、本当の情報を詳細に提供していない東電と政府にあります。
それから、作業員がきちんと線量測定されているかどうかは極めて疑問です。そうされてきていないという証言もあります。作業場での厳密さを実現するには、上層部がかなりリスクを重視する姿勢を持っていなければなりませんし、現場は精神的に相当なストリクトさが必要となります。ですから、作業員は無事ということから出発する逆算は危険だと思います。東電と政府は、全面的で詳細なデータを示すべきです。
福島の国際会議で作業員の被ばくデータが示されており、4月以降は100mSvを超える人がいなかったのではないかと思いますが、この結論については私は留保しています。一方で数Sv/hという線量を記録した場所があったのですから、このような状況では出てきた数字を過信するのではなく、数値と数値以外の情報が矛盾しないかどうかを両サイドから見ていく必要があると思います。
このような作業員の問題には、私も先生もガンダーセンも誰も答えることはできません。本当に無事かどうかもわかりません。ただ必要なのは、東電と政府の情報開示なのです。それがなされない間は、このように、私たちはああでもない、こうでもない、と考え続けるほかないのです。
もしも東電と政府が正しい情報を出し続け、他のデータとの整合性を検討する場が継続的にあれば、問題の把握と対処はもっと容易になると思いませんか。
それから、花火の問題は、食品の問題の論点とつながってくるところがあります。おそらくは、それほどの問題はないだろうと私も思いはしますが、第一にきちんとすべきことは、福島産の食品、製品の放射能については、きちんと測定したうえで出荷されるのが本来の当然の前提だと思います。チェルノブイリ事故の時に、ドイツの青果店では個々の食品の放射能をBq/kgで表示して販売していたということです。それをしないで「風評被害」ということは決して言うことができません。チェルノブイリでも高汚染地域のものは運び出さないということになっていると聞いています。
私たちも、水俣病の風評被害を汚染魚を食べていただく方向で解決するようには決して提言しなかったでしょう。
3月に原発事故が起こったときに私が想像したのは、食料不足です。しかし、それを政府は逆方向のやり方で見事に解決しています。食品安全の暫定基準を大幅に緩くし、全数検査もしていません。科学的に蓋然性を検討しようとすれば、そのようにしなければ意味がありません。詳細なデータがないところでは、あいまいな情報を相手に一般人や専門家でさえ迷うのは当然のことだと思います。
専門家はその不確定性を認識し、発言のリスクを考え、安全性へのバイアスを選び、そのほとんどは沈黙しているのです。これは心理的にはよく理解できることですが、よいこととは思えません。一定の考察ができなくても、史上まれなる事故で、福島県居住者のかなりの人々が、健康影響の前に「法廷の被ばく限度」を超えさせられているのですから、少なくとも徹底的な調査と情報開示をよびかけるのが科学者のとるべき立場と思います。
確かに花火工場が原発のそばでなければ大丈夫だろうと私でも思いますが科学的確信はありません。ただ、「安全方向へのバイアス」は最大限に許容されるが、「危険方向へのバイアス」については徹底的に非難されるという今の日本社会のありかたが異常なのだと、私は思うのです。
○【粂】
高岡先生のご意見に異論はないのですが、”「安全方向へのバイアス」は最大限に許容されるが、「危険方向へのバイアス」については徹底的に非難される”、と感じている人と、その”全く逆”に感じている人がいます。ぼく自身は、なるべくどちらにもバイアスがかからないように、「蓋然性・緊急性」を考えて議論してきたつもりですが、「安全側」だと批判されることの方が多いですので、高岡先生と逆方向に感じています。この点は「感覚的な問題」ですし、高岡先生の方が、より現状に近いのかもしれません。周囲にどんな人がいて、誰にメッセージを伝えたいと考えているかにもよりますね。なお、プルトニウムについては、有機水銀と異なり、現状では、検出されている絶対量が少ないことと、まあ、ぼくや高岡先生が子どもの頃は、環境中に大量にあったわけで、「危険である可能性」を否定はしませんが、今すぐに、騒ぎ立てる必要性は感じていないということです。その点ついては、ブログにも書きました。
あ、そうそう、有名な経済学者が、プルトニウムは1分子でも身体に入ったらダメと書いていたので、それは科学的に間違いだと指摘したこともあります。さすがに、すぐ訂正してくれましたが、それが、いっぱい流れました。われわれの身体の中には、誰でも一定量のプルトニウムはありますからね。内部被曝も、カリウムの同位体からは、誰も逃れられないわけですし。有機水銀の問題と同じで、一定量は許容されると思います。高岡先生は、最近の水俣の魚は、食べますか?
●【高岡先生】
私も、プルトニウムが1分子でも身体に入ったらダメなどとおもいませんよ。というより、私の自身の肺にもすでにそれ以上のものが入っているでしょうね。
批判しあうことは良いことですし、必要なことです。しかも、素人が医学議論に参加するときにエラーはつきものです。Twitterなどでは、有名人や刺激的なツイートでは気をつけないといけませんが、たいていの間違いは早急に訂正されていくのがTwitterの特徴です。Twitterの良さは、この双方向性にあります。一方、東電と国の意図的隠蔽はメディアも含めて質の異なる問題です。これもまたケースバイケースですが、科学的認識の欠落の存在を理由に「ものを言うな」という雰囲気を作るかどうかが、評価の分かれ目だと思っています。放射線被害の考え方では、専門家でさえ、というより、専門家ほど間違ってしまっていることがあります。学会での議論方法を一般社会に持ち込むと結局は科学者が孤立していきます。今の原発問題の医師不信の一因はそこにあるでしょう。
水俣の魚について言うと、以前測定した私の毛髪水銀は1.7ppmでした。これは総水銀値ですが、そのほとんどがメチル水銀です。現在の水俣市民の毛髪水銀の平均値は東京よりも低いのです。しかし、メチル水銀の胎児に対する健康影響が4~6ppmを境に存在するというデータが宿敵ライバル(Grandjean vs. Myers)の両方から出ています。成人でも4ppm台がカットオフという論文があります。環境省が関与したTohoku Studyでも母親の毛髪水銀0.29~9.35ppmの範囲での調査で、胎児出生後のテストの一部に母親の水銀値との有意の相関関係がでているのです。
では、魚を食べた人の毛髪水銀が10ppmになったとして、何らかの健康障害を起こしたとして、当人や私たち医師がそれをメチル水銀が原因と判断できるでしょうか。おそらくメチル水銀によるものとは思わないし、正常人の誤差という認識しか得られないでしょう。私も水俣病と診断できないケースのほうが多いかもしれません。これは、例え話で言うと、水銀曝露を受けていれば、あるテストで平均90点取れる人が平均80点あるいは85点になってしまう、あるいはそれ以下の差異しかないかもしれないというような話です。それくらいならいいじゃないか、と思った人はアウトだと私は思います。これは、一臨床例の問題ではなく、社会全体の問題ですから、曝露を受けた数万人あるいは数百万人の問題なのです。
当然、メチル水銀の場合は脳の可塑性が働きますから、軽症例は老年期までは健康障害に気付かれないこともあります。
汚染が少なくなった1960年の数少ないデータでも、調査された不知火海周辺地域967名中600名が10ppm以上でした。これは断面調査ですから、真の曝露はわかりません。おそらくそれ以上のものでしょう。ここで調査された人々のどれだけが水俣病として認識されたかもわからないのです。このような異常値が出れば継続調査するのが常識ですが、それを行わなかったことは意図的と言わざるを得ません。
というわけで、私ならどうするか、という質問にお答えします。これは感覚的な話ですが、毛髪水銀が3ppmを超える状態とわかれば、原因となるであろう魚食を減らすでしょう。どこまで安全かという議論は本来不健全な側面をもっているのです。私たちは自然に生かされているのですから、それが科学の名であったとしても、人類が危険な罠にはまっていくことになると思います。功利主義の持つ根本的問題点が原発問題に表現されていると思います。本来、自然な状態と比較してどうか、というのが健全な意識のありかたなのです。
しかし、メチル水銀の話はあくまでたとえ話であって、放射線の被害はメチル水銀よりも深刻でしょう。全臓器が標的ですから。今の汚染状況では、内部被曝を含めて、許容量(1mSv/year)以上のものを私たちは摂取させられている可能性があると思います。これは、私はこのことを「許容される」とは考えません。摂取させられざるを得ないから、「仕方がない」ことなのだと考えます。原則問題と実際問題を混同せず、両方考慮する必要があるということです。
ところで、アメリカEPA(環境省)は水銀の許容限度を毛髪総水銀1ppm(μg/g)以下としています。これはこの基準が制定された時点で確認された危険閾値の1/10の値です。日本の専門家には、魚食の多い日本では厳しすぎるとこの基準をあざわらう人が多いのですが、悪しき意味での人間的ファクターを考えると、これくらいしないと安全は守れないものなのです。この基準は、放射線被曝と比較すればはるかに厳しく、「一定量は許容される」というレベルの基準ではありません。これくらい水銀では厳しい態度をとりうるWHOが、放射線の話となると、IAEA、ICRPに従属し、何もものを言えなくなるのです。
○【粂】
高岡先生、詳しく書いて頂き、とても勉強になりました。先生の問題意識は、今回の事故から今後派生するであろう問題の全体を捉えているのに対して、ぼくは比較的限局した部分だけで議論しているので、すれ違う部分があるのですね。先生のコメントを、ここだけに残しておくのは、もったいないので、ブログに転載させて下さい。
<FaceBook からの引用終わり>
以上、高岡先生とのやりとりを、許諾を得て掲載しました。たとえば、最初に出てきた、ガンダーセンの説には、間違いもあると思いますし、高岡先生に比べると、全ての面で、ぼくは楽観的に考えているので、その点では、今でも意見は異なります。ただ、例えば、水俣で1960年代に、明らかに高い水銀曝露を受けていた人たちの継続的な調査がされてこなかったことや、今でも、水俣病の認定が地域限定になっていたり、軽症の場合には、認定が非常に受けにくいことなど、今後を考える上で、非常に重要です。つまり、現在の科学レベルでは、健康障害がある可能性は低いと考えられている量の被曝だからといって、何の対策もせずに放置しておけば良いとは言えないわけで、少なくとも、きちんとした記録をして、継続的に観察を続ける必要があるということでしょう。
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