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非線形科学・蔵本由紀・中原中也

時間学会のシンポジウムで、山口大学にお邪魔してきました。シンポジウムは、千葉大の一川誠先生が心理学、柏端達也先生が哲学、ぼくが生物学の立場から、「時間」について話して対話するという鼎談形式で、その後、特別講演で、蔵本由紀先生が「非線形科学と時間」という講演をされました。内容は、こちらのPDFを参照に。

時間学研究所のある吉田キャンパスは、山口市内の湯田温泉に近く、新山口駅からディーゼル2両編成で、がたごと、立派に田舎でした(笑) 勉学にいそしむには好適な環境かな。

蔵本先生のお話は、集英社新書の「非線形科学→名著です」を参考にして頂くとして、印象的だったのは、先生が小学校の時に、時間について考えて、時間は細分化していくと「今」がなくなってしまい、自分は消滅してしまうことに気がついたという話(→文末)。それがすごく怖かったそうです。懇親会で個人的にお聞きしたら、そんなに早熟だったのは、末っ子で、上の兄弟の影響でませていたんだと思うとのことですが、その原体験から、大森荘蔵の哲学を学ぶことになり、細分化の方向に進む物理学よりも、システムを語れる物理学に目を向けさせたことにつながるようです。また、蔵本先生は詩がお好きで、講演でも堀口大學の詩を紹介されていました。

待つ間の長さ
逢ふ間の短さ
時のお腹は蛇腹です

一見、全く関係のないように見える世の中の種々の現象の下に隠れる共通した性質・・・振動、共鳴(共振)、カオスや、フラクタル構造、スケールフリーやスモールワールドネットワークなど・・・が見つかると、世の中に対する見方が、パラダイムシフトするように進むというのは、本当にわくわくします。しかし、時間について考えたのが、早熟すぎます!まいったなあ。残念ながら?ぼく自身は、誰でも死ぬのだということが、小学校4年生のある日に急にわかった強烈な記憶がある程度です。特になにか出来事があったわけではないのですが、その日は悲しくて眠れなかったのだけは覚えています。

さて、シンポの方では、「大人の時間はなぜ短いのか (集英社新書) 」の著書のある一川(いちかわ)先生が、私たちが日常的に感じている時間の長さは、種々の要因に影響されること、特に感情やその経験の価値に大きな影響を受けることを話しました。

柏端(かしわばた)先生は、論理哲学が専門とのことで、私たちが漠然と「時間」と感じるものの性質の定義から始まり(さすが哲学ですね)、価値との関係で面白い定式化を提言されました。いわく「良いことが終わる」は、その良いことの内容にかかわらず「悪いこと」であり、「悪いこと」が終わるは、その逆だ。これって、いろいろ拡張できるので、今後、よく考えさせて頂こうと思います。柏端先生の著書では、「自己欺瞞と自己犠牲 (双書エニグマ) ~不合理性哲学入門」は面白そうです。やっぱプラトンだめっしょと、懇親会でも話しましたし(笑)。「感情とクオリアの謎」も注文しました。あと、「行為と出来事の存在論―デイヴィドソン的視点から」は難しそうです。岡部勉先生に解説してもらわないと無理か。

また、今回の学会では、暦の研究、宗教家、歴史学など、普段めったに話すことのない分野の方と知り合い、議論できて、大変勉強になりました。


以下は余談。時間の空いた日曜午前中に楽しんだメモ。

蔵本先生に刺激され、泊ったホテルのすぐそばの中原中也記念館を見学。そこで、中也の才能は、非常に早熟だったこと、ネガティブな体験と自省があの表現につながった彼の生涯の詳細を知り、蔵本先生を連想。そして「中原中也記念館2011年年報」を手に取ったら、なんと巻頭が中島義道でした!ぼくにとっては、「時間を哲学する」も含めて、影響を受けている人なので、嬉しいシンクロニシティ(妄想)。2日間、哲学できた週末でした。

(中也メモ)
1907年(明治40年)4月29日生
生まれは湯田温泉のお医者さんの家。大きな邸宅だが、周囲が色町なので、家からは出してもらえなかった。
早熟:小学校の成績は神童、12歳の時には地元紙に短歌を投稿。大人びた詩。
中学は入学時12番がどんどん成績が下がり退学。16歳で立命館に転校。
(お医者さんの息子だから、私学への転校もできたんだよね)
京都で17歳で3歳年上の長谷川泰子と同棲を始める。
翌1925年、18歳で上京。小林秀雄と深い親交。
その後、最も慕う先輩・富永太郎の死に加え、泰子が小林の元へ行ったことなどで、大きなショック。
「自己を失った」と表現。汚れっちまった悲しみに、につながる。
その後結婚して、2児が生まれるが、2歳で長男が死亡。
精神に異常を来たすほど落胆し、その後、次男を連れて帰郷を決意するも、目前で自身が死亡。
1937年(昭和13年)10月22日
その直後に次男も死亡。

記念館の展示は、どれも印象に残りましたが、長男を亡くし失意の中、東京から山口に帰郷を決めた後、知人・友人につづった手紙は、何とも、その時の気持ちが伝わりました。中也というと、若くて夭折というイメージですが、30歳ですから、大人としての等身大の中也が見えた気がしました。(追記)等身大といえば、彼は東京から盆暮れには山口に帰省していたそうで、その度に「外郎(ういろう)」を東京の友人におみやげに買っていたそうです。あの時代ですから、決して貧しい生活をしていた人ではないこともわかり、何となく、(ぼく自身が)ほっとした気持ちにもなりました。おみやげに、生の外郎を買って帰りました。美味しかったです。


(中島義道の中也論「美しい敗者」からメモ)
中原中也記念館2011年年報」から、PDFファイルがダウンロードできます。以下、斜体字は、引用です。
 小林秀雄は高校生の頃から読んでいたが、本格的に読み漁ったのは、法学部に進むのを諦めて哲学を志した二十歳の頃から。当時の私(中嶋)は小学生以来の「死」に対する恐怖が絶頂を向え、それを考えると頭が痺れ、人生は果てしなく虚しく思われた。だから哲学を選んだわけだが、これでもう「まともな」人間にはなれないという転落感と共に不思議な安堵感もあった。そんな私にとって、小林の到底哲学的とは言えない断定的直観的口調には反発を覚えることの方が多かった。
 中原中也にのめりこんだのは、それよりさらに遅くて、学部を二度留年してようやく哲学科の大学院に進み、もうじき25歳になる頃であった。・・・

 以上は、引用で、この後、彼が中也をどのように読んだかが記される。そして、
…私は彼の「健全さ」について行けなかった。絵に描いたような青春、絵に描いたような三角関係など、あまりにも普通すぎ、健康すぎる!当時の私は、世界が存在すること、なかんずく自分が存在することの意味が解らず・…(中略)…(中島の)母は虚栄心が強く、私は生れた時から漠然と東大、しかも法学部に行かなければならなかった(だから法学部を捨てて哲学に鞍替えしたことは完全な敗者なのである)。
 だから、中島は中也の置かれた状況がわかると書く。中也も、出世を期待されたができなかった敗者としての気持ちがあり、小林ら、売れ始めていたエリートに嫉妬した。

・・・そして、長男を失った後に残した詩・・・

「春日狂想」
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にゃあ)といひ
鳥を見せても猫(にゃあ)だつた

中原中也はまことに「神に愛された子」であり、不思議なほどの不幸を生き抜いた。

う~ん。中島さんの文は、いつもながら、すごい。

ちなみに、こんなに長く書いたのは、学会の帰路の新幹線が、大雨のために博多で足止めをくらい、2時間以上、待っていたからです。

(注:時間の消滅について)
 「自分は消滅してしまう」は、ヴィトゲンシュタインの独我論でもそうですし、そんなことは、仏教では最初から悟っていたよ、というところでしょうが、やっぱり、その部分は、体感としての納得は、普通はできないですよね。今、ぼく自身は、いかに自分の中の「私」の存在の実感を「納得」するかが、自分にとっての命題になっているので、余計、そう思います。
 懇親会の雑談で、やはり「自己」も分解してはいけない単位があるのではという話になりました。複雑系ならそうだし、例えば、禅問答も、正しい解答がどんどん移ろい変わっていく中に悟りがあるとも言えますでしょうか・・・というのは、まだ考慮不足ですね。
 あと、将来は、ロボットが心を持つとか、コンピュータが考える、生命と非生命の境界は曖昧になるという話(ぼくは、そう考えているので)に、不満だった、そこのあなた(笑)。是非、こちらもどうぞ→ 「脳科学の最前線

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