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放射線リスクの言説再考:牧野淳一郎さん、押川正毅さんの記事へのコメント

もう原発の話は、あまり書きたくないと思い、前のエントリー「放射線の健康に対する影響の「語り方」:リスクの受容」で最後にするつもりでした。そこで、この話も、そちらへの追記として書き始めたのですが、あまりに長くなったので独立させました。

国立天文台の牧野淳一郎さんの最近の記事を、非常に興味深く読みました。

先日読んだ「なぜ科学を語って、すれ違うのか」を思い出しました。この本については、またまとめて書きたいですが、ソーカル事件後の話に触れて、いかに「科学」が「社会的に構成される面があるか」をわかりやすく書いています。

さて、これまでも牧野さんのブログは、被曝量計算などで何度か読ませて頂いていて、ぼくは高く評価しているので、みなさんにも他のエントリーを含めて全体をお読み頂きたいと思います。ただ、今日は敢えて異論を書いてみます。

まず、「102.8. 研究者の情報発信はどうだったか?」の中に、今回の事故後の情報発信の特徴に、「正常性バイアス」があったという点は、なるほどと思います。実際、自分自身も振り返ってみて、なるべく危険側の情報もサーチしたつもりですが、やはり「やや安全側」にあったと思いますし、そもそも、地震後だまっていたのを、どうしても書きたいと思ったのは、「東京から避難すべきだ」という意見が流れ始めたから、それに対抗する言説としての意味がありました。私は熊本在住ですが、大学生の息子が東京在住ですから、現実問題として、彼に対する助言をするため、それなりに当事者的に判断しています。それで、いろいろ調べる中で、原発の状況は悪くても、福島県の一部を除けば避難しないといけない状況ではないと考えて、今に至ります。

その過程では、東電・政府の発表に問題も感じていましたし、彼らの「意図」の部分も同感です。ただし、ぼく自身は、逆方向の「意図」や「バイアス」がありうる点や、前のエントリーにも書いた「常識・体感」的な判断も、考慮に入れたいという点を強調しておきます。

たとえば、牧野さんは、「102.4. 福島県は?」の中で、

福島県では30km圏外、例えば福島市内でも 3-4uSv/h のところがあり、そういったところは柏に比べてさらに10倍程度です。がんリスクは IAEA/ICRP のもっとも楽観的な見積もりで10%近く、大きいめの見積りだとなんだかとんでもないことになるところで、子供すら避難もしないでいる、という不思議なことが起こっているわけです。

と書かれています。この「とんでもないこと」というのは、たとえばSweden の研究はICRPの10倍で、子どもは大人の5倍とすると、10%x10x5で、500%とかいう計算などだと思います。つまり、子どもの全員が癌になるということです。しかし、そんな「とんでもないこと」が、長崎・広島の後に起きなかったことは、日本人なら体感として知っているはずです。チェルノブイリで起きなかったかと言われると、「隠蔽されている」という陰謀論を信じる人を説得できる自信ははないですが、長崎・広島なら周囲の人は、それを「知っています」。(追記:長崎・広島の原爆と、チェルノブイリ・福島の被曝被害は質が異なるから比較できないという指摘もあります。このあたりは、ぼくは勉強不足です。)

たとえば、水俣病も同じです。有機水銀を食べたことによる被害の症状を正しく見積もることは大切で、知らない人に知ってもらうために、ひどい症状が出ることも伝えないといけません。隠された被害もあったでしょう。しかし、現地の魚を少しでも食べていた人の全員が悲惨な状況であるわけではなく、水俣の町には、その後も、みなさん住み続けてきたという事実があります。だから、たとえば、少し有機水銀が高めだとわかっている魚があったとして、もし食べるものがそれしかなければ、何回か食べてしまったとしても、そんな心配しなくても大丈夫ということは、水俣に行けば自信を持って言えます。(あらかじめ書いておきますが、魚は原因判明後は当然食べなっかったのですし、放射線とは異なるのは理解しています。また、水俣が嫌になって転居した人もいますが、ここでの比喩の文脈では問題ではありません。水銀の害や、軽症の症状を軽視する気持ちもありません。)

「とんでもないこと」になるかどうかは、10年後にはわかりますので、それが杞憂だったとわかることを「正常性バイアス」に基づき期待しています。

また、牧野さんの「もっとも楽観的な見積もりで10%近く」は、福島の屋外の線量率の高い場所に24時間365日いるという仮定に基づきます。これも、ここだけ抜き出して誤解を招くといけないので、牧野さんのエントリーを読まれる方は、是非、前後のエントリーもきちんと読んで理解してください。

なお、「とんでもないこと」の元になったSweden のTondel論文については、前のエントリーでも紹介した「buveryの日記」の中に批判があります。
2011-05-20 ECRRの福島リスク計算は妄想の産物

ぼくも、元の論文を読んで、ほぼ同じ感想を友人に送ったので、buvery さんと同感です。タイトルに「?」が付いているような論文は、初めて読みました。ですから、現在、話題になっている「東京近辺のホットスポット」で、癌が増えるという仮説は、科学的な妥当性がかなり低い仮説(だって、書いている本人が「?」をつけちゃう仮説ですから)だと思っています。

科学者として、全ての仮説は完全に否定されるまでは仮説として認めますが、医師は実地家なので、多数ある治療法の中で一つしかできません。どれが正解かがわからない時には、患者さんと相談して、えいっと、選ぶしかない。とすれば、どちらが正しいかに「賭ける」必要があり、わからなくても、どちらが正しそうかは、文面のエビデンスだけではなく、効くと言っている人が製薬会社なのか、信頼できそうな医師なのか、いろいろ「社会的」背景も判断はしています。

ですから、科学者の役割として、多数ある仮説の中で、どの仮説の「蓋然性」が高いかまで、やはり考える必要があります。その時に、ICRPは、原子力を推進する立場だから、彼らの意見は「割り引く」は正しい判断だと思います。しかし、逆に、例えば公衆衛生学者が、「(人々の注意を引く)何らかの発見をする」というのも、彼らにとってインセンティブになることは常識です。最近も、ワクチンの保存剤に入っている水銀が自閉症の要因となるという有名な研究が捏造だったというニュースもありました。いわゆるイデオロギー的なものではなくても、「危険バイアス」がありうることは、医療分野では、どちらかといえば「危険側」で発言してきた自分としては、注意を喚起したいと思います。

牧野さんのついでのコメントになってしまうので、申し訳ないのですが、東大物性研の押川正毅先生放射能汚染の危険性(メモ))という文章にも、同じような感想を持ちました。

押川先生の文章の中の計算は、いわゆるホットスポットとされた地域で、1日24時間、ずっと被曝量が高い屋外にいるという計算ですし、(←すみません。これ勘違いでした。空中線量から汚染密度を推定して、Tondel論文に当てはめた、ということなので、このような仮定は不要ですね。ただ、これをよく考えてみると、土壌汚染の量だけで、高い領域の方に、線形性を仮定するのは、ますます変です。だって、福島では、線量の高い校庭には、子どもたちを出さないようにしているし、なるべく避けているわけですから…)参考にしているのが、Tondel 論文です。そして、ご自身でも、「汚染度が高すぎる場合には直線的な関係は崩れているでしょうから、あくまで参考程度です。」と書かれながら、

文科省によると子供にとっても安全(空気中線量 < 3.8 μSv/h)らしい福島県の一部のモデル
  空気中線量: 3.65 μSv/h 自然バックグラウンド: 0.05 μSv/h
   差分(事故の汚染による放射線): 3.6 μSv/h
   Cs-137 汚染密度推定値: 480 〜 1200 kBq/m2
   Tondel論文から推計した発がんリスクの相対的向上: 53 〜 132 %

という、福島で132%!という、「とんでもない」値を示されています。53 〜 132 %という値なら、さすがに10年以内に証明されるでしょうから、この値が間違っていたかどうかは、しばらくしたら、わかると思います。

ただ、その前でも、ぼくは、「端的な誤り」だと思います。つまり、低線量域では、LNT仮説を取れば、検出ができなくなるので、種々の仮説が否定されずに残ります。でも、逆に低線量域で出たデータを、それより高い値に「逆方向に外挿」するというのは、単純に考えても誤差も含めて巨大化してしまうし、科学的な間違いだと思います。物理の世界のことはよくわからないので、もしかしたら、押川先生の方が正しいのかもしれませんが…

いずれにせよ、Tondel論文が正しいとしても、それに影響されるのは、東京近辺のホットスポットの人たちであり、その研究を「外挿」して、福島の方へ持っていくのは、牧野先生、押川先生の文の問題だと考えます。つまり、どんなに悪くても、被曝したことが明らかな人の確実なデータで高い値を言っている(つまりICRPの10倍であるゴフマンの値=Svあたり40%に基づいても)、例えば100mSv被曝したら、4~5%ですから、それを超えることはありえない、というのが、「常識的な」考え方で、低線量被曝について、それより大きな値を、どんな形であれ、議論の材料にするのは、ぼくは「変」だと思います。

また、チェルノブイリで「増えた」とされる甲状腺癌についてですが、ぼくは医師ですが、恥ずかしながら、これまであまり甲状腺癌について知識がありませんでした。ぼくの従来の知識は、甲状腺癌は「高齢者に多く、経過が長く、予後はそれほど悪くなく、オカルト発生(別の病気の死後に解剖で癌が発見される)が多い、でも、若い人にできるのは予後が悪い」だけでした。なので、子どもに甲状腺癌が増えるというのは、由々しき事態だと、とても心配していました。

ところが、調べてみると、実は、若い人でもオカルト甲状腺癌というは、かなり多いようです。また、広島・長崎の被曝者の中でのオカルト甲状腺癌の発生率は、ハワイの日系人の甲状腺発生率と同じ20%程度なので、放射線による検出できるだけの増加はなかったことと、発生率に人種差が大きいことが示されました(文献は下に)。

チェルノブイリ後には、確かに子どもの甲状腺癌が増えているのですが、数千の手術がされたのに、死亡数は15例とされています(ここは自分では数は調べていません)。ということは、かなり予後の良い甲状腺癌が増えたということで、これは、オカルト甲状腺癌になっただろうものが少し腫れたものを、積極的な健診で発見してしまった面があると思います。そして、ぼくが医師として書きたいことは、このような「積極的な医療」を、医師は職業上、高く評価します。早期発見・早期治療は「善」だというのが「医師のバイアス」です。でも、本来放置しても大丈夫だったものを治療するのは、社会的には悪いことの場合もあります。

議論の中で、「安全か危険かわからない場合には、安全側を選べばよい」という意見があり、多くの場合には同意します。しかし、例えば、医療の中には、「やらない方が良い」ことがあることが、最近かなりわかってきています。例えば、若年者の乳癌は、健診によるデメリットの方が大きいとされています(これはマンモグラフィーによる被曝だけではなくて、良性腫瘍乳腺症などのfalse positive所見の悪影響など、全体を含めてです)。また、脳ドックが流行して見つかるようになった、未破裂動脈瘤も今のコンセンサスは7mm(または10mm)以下では、介入のリスクの方が大きいはずですが、それがわかるまでには、3mmでも4mmでも、がんがんクリップしていた施設もあったようです。

安全側に最大限のマージンをとって、被曝量も最大限の値を取り、発症率も最大の値を取れば、福島の子どもたちを徹底的に健診するべきという極論も出てくる可能性があります。その時に、もちろん、お医者さんは自分の仕事ですから、ほいほい喜んでやりますけど、そのデメリットを考えると、常に安全側なら良いとは言い切れないのも、難しい点です。これは、癌が増えると、東電も政府も困る、という方向の意見と一致するので、「御用学者」とラベリングされそうな意見なので、さらに悩ましいです。以前、薬害エイズの問題が社会化した頃に、専門家がみんな口をつぐんでしまったことを書いたことがありますが、とても似てくるかもしれません。

余談ですが、buvery の日記の中には、白血病が増えるという論文を検証したエントリーもあります。
2011-05-11 私がECRRを狂気の集団と呼ぶわけ

このような「危険側バイアス」についても、「安全側バイアス」を批判する方には、是非、考えて欲しいです。

<オカルト甲状腺癌についてのレビュー>
Occult thyroid carcinoma.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20463833
Acta Otorhinolaryngol Ital. 2009 Dec;29(6):296-304.
Occult thyroid carcinoma.
Boucek J, et al.
(一部、引用)Probably the most important factor is genetic predisposition, which is supported by the fact that the prevalence in the Japanese population exposed to the radiation during the bomb attack on Hiroshima and Nagasaki (11.3-28.4%) and in the Japanese population staying in Hawaii, without the radiation exposure (24%) is similar.


<フィンランドの18歳から40歳の調査>
Cancer. 1986 Aug 1;58(3):715-9
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/3731026
Occult papillary carcinoma of the thyroid in children and young adults.
A systemic autopsy study in Finland.
Franssila KO, Harach HR.
(抄録)The thyroids from 93 autopsies performed on children and young adults younger than age 40 years, were subserially sectioned at 2- to 3-mm intervals. Thirteen thyroids revealed 17 foci of occult papillary carcinoma (OPC), giving a prevalence rate of 14%. The youngest affected patient was a boy aged 18 years. The prevalence rate of individuals between age 18 and 40 years was 27%. The rate appears to be rather constant in adults, although there may be a slight rise in middle age. The prevalence rate was higher for males, but no statistically significant difference was seen. The arise of OPCs after puberty would favor the view that hormonal factors are related to their appearance.

(追記)
100mSv被曝したらというところの値を修正しました。ゴフマンデータで4%で、別のデータで10%という解釈ができるものもありますが、まあ5%でも、ICRPの10倍ですから、この程度ということで。疑問のある方は、前のエントリーも読んで下さい。

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Comments

>500%とかいう計算などだと思います。つまり、子どもの全員が癌になるということです。
「500%ががんになる」ではなくて、「がんになる人の割合が500%増える」のではないでしょうか?
例えば、1万人に1人がかかるがんが、放射線の影響で1万人に6人になるとか。
私の勘違いだったらすみません。

Posted by: | 2011.06.10 at 10:33 PM

単位をきちんとつけないといけませんね。多くの場合、ERR(Excess Relative Rate) of Mortality なので、おっしゃる通りです。ただ、生涯値にすれば、もともとの癌の死亡率が20%以上あるので、5倍すれば100%ということになります。

また、原爆による被曝は、直接浴びた人以外は、実はそれほど多くなく、残留した放射能も、原発事故の方が圧倒的に多いので、参考にならないという指摘ももらいました。なるほどとは思いますが、原爆のみではなく、医師は、医療被曝をたくさん作り出しているので、その意味での「安全感覚」は、やはりあります。

Posted by: | 2011.06.13 at 12:33 AM

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