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放射線の健康に対する影響の「語り方」

放射性物質の健康に対する影響についての専門家からの情報の発し方について、東大の島薗先生から意見を頂きました。またメールで、何人かの方とも意見を交換しました。ぼくは、このブログで、ここまで「緊急事態」を念頭において書いてきましたが、前のエントリーから、準急性期から慢性期の対応にシフトする必要を書きました(文末参照)。そこで、島薗先生との対話についても、少し考えたことをまとめてみます。

島薗先生の意見は下記のブログです。

放射性物質による健康被害の可能性について医学者はどう語っているか
(島薗進・宗教学とその周辺より)

Twitter での簡単な意見交換のまとめ→こちら

この文章については、ほとんど異論がありません。しかし、それでも、もしぼく自身が放射線医学の専門家の立場なら、同じような説明をしただろうことも、想像がつきます。先週末にも、相馬市の避難所に友人が行くとのことで、「安心できるような」説明を作りました。これは、緊急時に対する方策としてはしかたない面もあると考えます。つまり、ほとんどの人にとっては、「不安」な情報の方が、「冷静」な情報よりも、入りやすいと考えるため、それに対抗する観点から、「安心」に重点を置くようなバイアスがかかるということです。その意味で、島薗先生がご指摘のように、専門家側もパニック対応として書いていますし、このような批判があったり、大雑把だったり、厳密でない部分があったとしても、科学的に間違ったことは、書かれていなかったと思います。

しかし、状況は変わってきています。つまり、これまでは、「短い間なら、この程度では大きな影響はないことは、科学的に正しいから、何とか我慢して欲しいし、我慢しても大丈夫ですよ」で済んだ時期だろうと思います。しかし、1ヶ月が経ち、それでも、まだ原発が安定しない現状では、もう「短期なら」という説明は無理があるし、「我慢も限界」だと思います。

そうすると、放射性物質に対する考え方も変わってくるはずです。つまり、これまでは「緊急時の短期間の限界」だったものが、今後は「平時に準ずる長期間の限界」に移行すべきです。

その時の「語り方」は、「安全・危険」とか「安心・不安」ではなく、やはり平時における「権利」の話になるべきでしょう。これが島薗先生に指摘された問題点の原因の一部だと思います(確率論的語り方への違和感、科学と価値観との関係性、間主観性の問題、倫理性についても義務論的な考え方、放射線被曝への感受性の高い少数者の問題などなどの、別の視点については、後日に機会があれば)。

例えば、平時に決められた年間1ミリシーベルトの許容線量は、自然から「強制」されている自然放射線の存在を考えれば、全ての日本人に「強制しても良い値」だと、多くの人に同意されうる値です。しかし、たとえば、その10倍の10ミリになると、「健康への影響は、あったとしてもとても小さく、心配するレベルではない」が専門家の意見だとしても、でも、気にする人なら「避ける権利」が保障されるレベルと考えられます。また、このレベルの影響になると、科学の世界でも下記のように種々の意見があります。

1.小線量被曝は、かえって身体に良いというホルミシス理論
  (追記)ある閾値以下の被曝には何の影響もないという閾値存在論もあります。
2.10ミリSv(=0.01Sv)なら1Svの100分の1の悪い影響がある(域値のない線形理論)
3.小線量では、線量あたりの影響が高線量よりも高い(京大の今中先生の論文→岩波科学2005年など参照)

これらのどれが正しいか、科学者の間でのコンセンサスはありませんが、一般に仮定されているのが2.です。もちろん、1.だと良いなと、ぼくも思いますが、2.または3.だとすれば、10ミリには「悪影響がある」ことになります。とすれば、10ミリSvへの対策は、個人の自由と権利を尊重する日本では、個人が判断する権利があります。

放射線の影響を、タバコの影響と比較する議論があり、どちらかといえば、安全性の議論に使われます。でも、年に何本かだけ吸うこと(毎日ではなく)や、間接喫煙を1時間だけすることが、健康にほとんど影響がないことは知っていても、それを自主的に避ける権利があることは、誰でも認めることですし、タバコが嫌いな人は、そのようにしているはずです。

このように考えれば、20km圏の外側の地域で、特に放射線強度が高い地域では、そこの住民が今後の対策を立てる「権利」があると考えます。

また、そのような立場にたった「健康被害」への「語り方」は、これまでとは変わるのかと思います。


(4月9日時点での状況)
 現在の原発事故の状態は、医療に例えると、大怪我をした人に、とりあえず応急処置をして、輸血をして、落ち着いたら、リハビリの予定で、動かさないで見てきた。ところが、経過観察中に、思いがけない臓器障害が見つかり、感染症も合併して、急性期がずるずる伸びている感じです。もしかすると、再出血してリハビリどころではないから、もう少し我慢した方がよいけれど、でも、1ヶ月も経てば、たとえ小康状態とも言えなくても、早くリハビリを始めないと、関節の拘縮などの後遺症が残ってしまうから、もう何とかしないとまずい。そんな感じの気がします。
 ですから、周辺地域についても、1ヶ月程度で何とかなるのなら、初期に多かったヨウ素は半減期も短いので「がまん」できたレベルだったと思いますが、もう、我慢を強いる期間は過ぎつつあると思います。

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Comments

今日、先生宛にtwitterで質問を投げました。このブログで全て回答を得ました。私は医療は素人です。医療現場に設置されている装置のメンテナンスで、医療現場の方と接していて感じた事。それは「無駄な被曝はわずかでも避けるべきである。」です。ヨウ素の件、確かに論ずるレベルが変わってきていることに気付くべきでした。申し訳有りません。

→こちらこそ、お答えができず、すみません。
もちろん、「できる限り」避けた方が良いですが、避ける努力と、そのために払う犠牲(避難とか農水産物の出荷停止など)とのバランスが、難しいところです。

Posted by: WrenSumotsuku | 2011.04.10 12:56 AM

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