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コンプライアンス熟考:郷原信郎先生セミナー

熊本大学コンフリクトマネジメントセミナーで(先日、ぼくもお話をさせてもらいました→こちら)、郷原先生のお話を聞きました。非常に面白かったのですが、法律家の中で、郷原先生のような考え方やノウハウを持った人材が数少ないとのこと。憂慮すべきことと思いました。

以下、拙いまとめですが・・・

コンプライアンスは単なる法令遵守ではない、というと同意する人は多いが、それは、コンプライアンスは法令遵守に加えて、さらにプラスアルファだという意味での同意のことである。しかし、郷原流のコンプライアンスは、そういう意味ではない。工学の世界でコンプライアンスというと剛性の逆数であり「柔軟性」も含む概念である。そもそも日本の法令・司法は大きく逸脱したもの・社会の中では周辺にあるものを除去するための装置であり、ごく普通の企業や人が、日常的な活動の基準・規範にするようなものではない。法律家(特に検察)は、一般人からは遠く希少価値のある存在で、それで良いものだった。

以下、ツイッターに書いたものの修正・補足

遵守という言葉は思考停止を招く。(さらに隠蔽・捏造などの言葉も思考停止語。)遵守→つべこべ言わず守る、と意味になってしまう。コンプライアンスは社会的要請に従うこと。禁止・義務既定の単純な法令遵守ではない。

もともと法令・司法は社会のマジョリティとは関係ない部分で機能し伝家の宝刀で良かった。現代社会での法律は、本来は使いこなせる文化包丁にならないといけないが、実態に沿わない法律でも「遵守」が金科玉条科している。アメリカは昔から法を常識とすべき社会で、そのために膨大なコストも払ってきたし、法律(規則)が実態と合わなくなれば、法律の方を変えるプラグマティズムを保持する。だからこそ、法律遵守にも意味が出てくる。

コンプライアンスcompliance = 組織に向けられた社会的要請に、しなやかに鋭敏に反応して目的を実現していくこと。これは二つの要素に分けられる。社会的要請に対する鋭敏さ sensitivity + 目的実現に向けての協働関係 collaboration

フルセットコンプラアンスは次の5つ=方針の明確化、それに基づく組織の構築、それらを実現するための予防的C・治療的C・環境整備的C

この中の環境整備的コンプライアンスという場合の「環境」は企業の場合でいえば、企業外の環境、たとえば、法律が実態に合わなければ、それを変えていくような活動を含む。つまり、企業のトップが従業員などの下に向けて働きかけるものではなく、トップが企業を突き抜けて、上や外に向けて働きかけるタイプのコンプライアンスである。

組織内の縦のコラボレーション:内部通報の内容が、セクハラ・パワハラなどだけの組織は活力がない。社会的要請にどのように応えているのかが一番わかるのは最先端の従業員。そこから企業の使命に応じた意見が出るべき。何をしないと責められるかではなく、何ができるのかを全従業員が考えている。

横のコラボレーション:野球で下手な外野手は、自分ができない時に、隣に「オーイ」と声をかける。隣の野手も間に合わなければ抜けてしまう。上手な外野手は、自分ができる時に「オーライ」と声をかける。そのことで、隣の野手はボールに向かわずに、エラーをした時のためのバックアップに向かえる。守備範囲が広ければ、これが可能だが、守備範囲が狭いとこれができない。それは、システムの問題。余裕がない、人員が足りないなど。

違法行為の2分類:
アメリカ型:ムシ型:個人の利益追求目的→単発的→厳罰対処で良い。ムシ→バグで、殺虫剤で殺せばよい。
日本型:カビ型:組織の利益が目的→構造的な原因(企業外の環境も含む)まで考えないと改善しない。単に末端や一企業叩きをしても、開き直り、反復につながるだけ。環境がじめじめしているところに、広がっていて、根絶するのが難しいという意味で、カビ。

マスコミ対応・社会への公表の仕方は非常に重要。法令遵守とは関係ない部分だが、場合によると致命的なダメージにつながる。不二家の問題は、「隠蔽」という言葉が流れてしまったのが致命的になった。JR福知山線の事故では、置石説(責任回避的発言)を最初に展開したことなどが、社会的責任の追及につながってしまった。もともと刑事責任追及されるような事例ではなかったのに、それを避けようとした結果、かえって社会的な糾弾が強まり、司法も動かざるを得ない問題になってしまう。

以下、個人的な感想。

法律・司法が社会周辺から一般生活に入ってきたというのは、医療についても言えそうです。法律家ほどでないにせよ、医師は少なかったし、医者にかかるのは、生命にかかわるような事態だけだったものが、医療は日常的になり、その分、以前は専門家の中だけで済まされていたものが、一般の人にも見える中で進めないといけなくなってきました。

今月号のジャミックジャーナルの医療過誤の特集にも、郷原先生のコメントがあります。例えば、インフォームドコンセントのための、「同意書」は、規則があるから取るものではなく、そもそも、患者も医療に参加するべきだという社会的な要請からできたものなのに、単に規則を守ることだけを推し進めると、単に種類にサインをもらったかどうかが問題ということになってしまう。すると、たとえ同意書にサインがあっても、実質的に説明不足になることが起きる。逆に、信頼関係があり、普段から説明をきちんとしてあれば、同意書にサインをもらい忘れても、悪い結果が起きても、訴訟にはなりにくい。

こうやって、文にしてみると、当たり前に思えてしまいますが、実はできていない部分だと思います。非常に勉強になりました。ありがとうございました。

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