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真善美 または、無人島に善はあるか?

中学生の息子が、美術とか音楽とか勉強じゃないから、学校でやる意味がないのではというので、たまには父として、きちんと話そうかと、以下の話をした。メモしておこう。

そもそも、教育の最大の目的は、人が自立して社会の中で生きていけるようにすることだ。でも、では、その生きていくこと、そのものの目的は何だろうか?そんなことを、ギリシアの昔から、人間は考え続けてきていて、その一つの答が、「真・善・美という普遍的な価値」を目指すことだ。普遍的というのは、いつの時代でも、どこの場所でもという意味。

では、真善美とは何か?

いろいろな答え方があるけれど、ぼく流の端的な表現は、以下である。

真は人の外に、善は人の間に、美は人の中にある。

真=真実は(自然)科学が目指しているものを思い浮かべればよい。人間がそれまで知らなかったことを発見し、知ることは、それだけで価値がある。真実は、人の中ではなく外にあるものだと考える。善は、感謝される行為のことを考える。真は正しいことを表すが、正しいことが全て善いこととは限らない。だから、善は人と人の間にのみ存在する。たとえ自分が善いことをしたつもりでも、相手が嫌がることなら、善とは呼べない。だから、もし、無人島に一人で流されてしまって、その後の人生で、他の人と誰とも会う可能性がないという状況になったら、「善」を目指すことは難しい。では、美は何か?それは人が、自分の心の中で「美しい」と思うことで、たとえ他人が、それを「美しい」と思わなくても、何の関係もなく、人の中に存在する。だから無人島にも「美」は存在する。もし、「善」だけを目指している人が無人島に流されたら、生き甲斐を失ってしまうしかない。

この三つの普遍的な価値の大切さと、それを目指すことを教えるのが教育の目的で、だから、本当は道徳だとか美術という科目は、3分の1ずつの時間をかけてもよいくらい重要。ただし、今の学校の授業が、そのような目的を本当に目指しているのか、あるいは、そのためになっているのかには疑問があるけれど。

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Comments

とても良い言葉なので、そのうちトラックバックさせて戴くかも知れません。

最近、理論○○学という分野の研究者と話す機会があったのですが、実験系の自分が違和感を持ったのは「真実が数字の中にある」と強く信じる気持ちです。
私は論文を書きながら「真実は自分の想像の外にあるのではないか?」という恐れを感じているので、数字も人の頭の中で作ったものなのに・・という点がひっかかったのです。

でも分野ごとの違いかも知れませんね。

Posted by: bloom | 2010.02.13 at 10:02 AM

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