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脳科学の最前線

2ヶ月ぶりになってしまいましたが、今日の講演会のご報告です。

http://www.gsscs.kumamoto-u.ac.jp/info/01.html#seminar

日時:平成21年8月8日(土) 13:00-17:00
場所: 熊本大学工学部百周年記念館

開会あいさつ:山村 研一 副学長
司会:高橋 隆雄 社会文化科学研究科長

積山 薫 (文学部教授) 「脳の不思議-柔らかな脳と適応する心-」
粂 和彦 (発生医学研究所准教授) 「脳科学は自由意志を否定するか」
友田 明美 (医学薬学研究部准教授) 「いやされない傷-児童虐待と傷ついていく脳-」
村山 伸樹 (自然科学研究科教授) 「脳とコンピュータをつなぐ」

閉会あいさつ:原田 信志 医学薬学研究部長

当日使ったパワーポイントスライドと、話した内容を起こしたものは、下記です。
パワポ資料: 「2009ppt.pdf」をダウンロード
講演内容:「2009.pdf」をダウンロード

細かい内容は、上記を見ていただくとして、アフォーダンス→あほうダンス→阿呆ダンス→阿波踊りという、オヤジギャグをかましましたが・・・これは、アフォーダンスを簡単に説明するためで、「広い道と、阿波踊りのリズムが聞こえる」という「環境に存在する性質」が、多くの人に「踊り出したい」という「気持ち」をアフォードする。そして、「広場とサンバのリズム」も同じようなものをアフォードする。逆に、受け取る人が踊りが嫌いなら「なんとなく逃げ出したい」気分をアフォードするかもしれない。従来の心理学や哲学では、個人の「心」の中にある特性が、知覚を通して主観的に作り出した環境からの入力が、このような気持ちを引き起こすという見方をしていましたが、アフォーダンスの心理学的見方では、環境側に「引き起こす性質」を埋め込んでしまう点で異なります。たとえば、役者さんと台本を考えれば、役者さんは台本の内容を自分の脳内に表象する必要なく演技を行えますし、役者さんの脳の環境からの影響を考慮する必要などなく、役者さんの行動は「台本」から予測可能で、「台本」がアフォードしていると言えるのではないかと思います(この例えの部分は、ぼくの思いつきなので、深慮の必要あり!)

いずれにせよ、今回言いたかったことは、比較的単純なことで、以下のような感じです。

デカルトのような二元論に決別をするためには、一元論的世界と向き合う必要があります。そこで使われる、物理主義と決定論的世界観の元では、従来の常識心理学的な「自己」、「心」、「自由意志」という概念は、消去されてしまいそうです。しかし、決定論的な世界にも、限られたものであるとしても、「自由」は存在しうるし、機械論的な人間観においても、「心」は存在しうる、ということが、伝えたかったことです。

(追記)なお、今回配付した資料が、熊大リポジトリーに登録されましたので、以下からダウンロードできます。
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/12231


さて、たくさん、質問を頂きましたが、全部は答えられなかったので、ここで補足も含めた説明をします。

まず、スライドで、阿波踊り(高知県)とありましたが、徳島県では?というご指摘、あっ、ありがとうございました。穴があったら、入りたいです(^_^;)

司会の高橋先生から、「では、自由意志が否定されてしまうような世界観の中では、責任の概念は変わるのでしょうか?」という質問を頂きました。これは、難しい質問で、まだ上手な答を持っていません。ただ、私は自由が否定されてしまうとは考えていません。「従来の素朴な理解での自由」の概念は変化して、より限られたものになると考えます。そのような「限られた自由」の中では、責任の概念が従来よりも「狭く」変わる可能性は充分あるでしょう。実際、今日の講演でもあったように、虐待が連鎖するとすれば、虐待をした両親の責任を追及するよりは、最教育を強める方向がより好ましく感じられます。

頂いた質問の中で、視覚障害のような感覚障害を持つ人に対して美術を鑑賞してもらう方法についての質問は興味深かったです。まず村山先生が、写真や絵などをスキャンして、立体ディスプレーにして示す方法を紹介されて、これは、まさに本日の発表とも関係する、技術の進歩により可能になったものですね。私は共感覚の話と、「キーキー」と「ブーバー」の例(*)を紹介して、モダリティを超えた共感の話を紹介しました。それに対して、講演後会場から、実際、視覚障害の方に、(*)を試した研究はあるのですか?と尋ねられました。まだ、ないと思うとお答しましたが、非常に興味深いので、少し調べてみたいと思います。たとえば、ざらざら・カクカクした表面の物体と、つるつる丸っこい表面の物体を、先天性盲の人が、「キーキー」と「ブーバ」のどちらと考えるか、という感じです。既に研究があるかもしれません。

(*)ふわふわした丸い雲のような図形と、カクカクした星形のような図形が、「キーキー」と「ブーバ」だと説明すると、人種や言葉の違いにかかわらず、多くの人が、丸い方を「ブーバ」、星形の方を「キーキー」だろうと予測する現象。

リベットの実験で見られるような「無意識の決定」を行う脳の部位と、自分で意志決定をする脳の部位は異なるのでしょうか?という質問に対して、私たちの脳には密接に同期して働くシステムが、少なくとも2つ存在し、それらは排他的な動きをするらしいという話をしました。つまり、外部情報に注意を払っている時と、外部情報からの入力が少なく、内部に注意を払える時の二つの状態があり、片方が活性化している時には、もう一方は活動が抑制されます。これは、合目的的ですし、私たちの主観的体験とも合致しますね。何かをしていると「我を忘れ」それが終わると「我に返る」ということです。リベットの実験のように、短時間で手を動かせば、動かそうと思っている状態に気がつきません。でも、たとえば、布団の中で、そろそろ起きようと思っている時に、さあ今だと思ったのに、動き始めるつもりだった瞬間に思いとどまって、結局、もう何分かグズグズしたことは、誰でもあるでしょう。そのような時には、さあ動こうという「意志」が間違いなく「意識」されているわけです。


以下に答えられなかった質問を、紹介します。

●ニューロコンピュータの可能性はあるのでしょうか?
●それが実現したら、そのコンピュータも眠ったり、夢を見たりしますか?
 ネコ型ロボットは、押し入れの中で眠っているようですが・・・
う~ん、難しい。わかりません。m(_ _)m
村山先生にふるべき質問でした。

●「「倫理の脳神経科学」の倫理」も、必要な気がします。例えば、「善い」と考えている時の脳の状態を知る「意義」は何でしょうか?そもそも、それは誰のための研究でしょうか?
 はい、倫理が必要というのは、まさしくそうですね。入れ子の入れ子になっていますが、良い悪いという判断の根底を調べて、すごく浅いものだったら、ある意味で、人間の倫理観に対する信頼感が薄れてしまうかもしれません。ただ、今日、お話したように、人間の「心」は、一つの脳の中だけに収まってしまような、ちっぽけなものではないと考えています。ですから、現状の脳科学が調べうることだけで幻滅する必要などはないだろうと、私自身は楽観視しています。その上で、誰のための研究かと問われれば、私のため、あるいは、興味のため、人間をもっと知りたいためです。少なくとも私は、「何かの役に立つから」とか「誰かのために」研究をしているという気持ちは、あまりありません。広い意味で、人類の英知を広げることにつながると考えています。

●自分で自分に約束したり交渉したりするのは、2台のコンピュータが相互作用するのと類似の状態なのですか?つまり脳の機能的に局在化した部分同士が相手のシステム内で、どのような処理がなされているのか知り得ない中で、作用し合うために、「自由意志」と呼べるようなものが生まれると考えて良いですか?また他者と自己の関係は、脳の部分同士と類似であると考えてよいですか?とすると、やはり「自己」は幻想となるんですか?
 そうですね・・・難しい質問ですが、他者(環境)へ注意を向けるシステムが存在する上に、自己に対して注意を向けるシステムが入れ子で存在します。強い証拠はないですし、なぜかという説明もできませんが、そのような再帰的入力があるネットワークが存在することが、「自分の心」が生まれる元になっているのではないかと、私自身は考えているので、2台のコンピュータの例とは異なると考えます。ですから他者との関係も、これとは異なります。このような「自己意識」あるいは「意識」と、「自由意志」は、同じレベルで説明できるのかどうか、すぐにはわかりませんので、答えられません。もう少し、考えてみます。

●今の社会的風潮として「自由意志による決定」ということが、もてはやされていますが、この「自由意志」を規制する要因が多々あると思います。この自由意志と心は、同質のものと考えて良いでしょうか?
 自由意志と心は、心の方が、より広い概念でしょうね。心の働きの中には、感じたり、考えたり、記憶したりというものもあり、その中で、行為に対する動機付けを行うのが、意志です。社会の中に、意志を規制する要因があるというのは、質問の意図が、どのレベルにあるのかわかりませんが、「自由」を狭めるような格差のようなものが多いということでしたら、同感です。

●オハイエのような市民活動に、自由意志が存在するのでしょうか?
 はい!集合的無意識という言葉がありますが、集合体的意志というのも、存在するんじゃないでしょうか?少なくとも、同じ目的に向かうとき、「心を一つにして」という表現を使うのは、実に適切だと感じます。拡張する心の概念に沿えば、一つの心と呼んでもよいかもしれません。
 そういえば、「拡張する心」で紹介した、立教大学の河野哲也先生は、発達障害の子どもの特別支援教育にもたずさわってきた先生で、弱い主体性とか、境界の不鮮明な自己の話も書かれています。(こちらも参照)

ちなみに、オハイエについては、下記を参照。頑張って下さい!

とっておきの音楽祭の映画オハイエ!
http://ohaie-movie.jp/index.html

とりあえず、この段階で公開しますが、もう少し書き足すかもしれません。(8月8日22時)


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