科学者の使命:書評「暴走する脳科学」(河野哲也)
ぼくは、科学(特に自然科学)は、価値(特に宗教や個人の信念に基づく価値)に対しては言うことを持たないと考えてきましたし、今も、そう考えています。しかし、自分の専門分野の「科学」を専門家に対して話すのではなく、一般の方に話す機会が増えてくると、当然ながら、「科学」だけでは話ができません。その時には、やはり一定の解釈をつけて話さないといけないし、そこには自分の価値観が投影され、さらには、それが社会に影響を及ぼすことになります。
脳神経倫理学の勉強を続けていますが、この学問の中には、脳神経科学と社会という分野があります。最近、下記の本を読み、脳神経科学者が、その研究成果を一般向けに話すときには、やはりそこには、きちんとした解釈を伴わせないといけないだろうと、反省しました。
本書は、タイトルが示すような脳科学そのものの暴走を批判する本ではありません。批判されるているのは、安易な解釈と安易な応用の危険性であり、脳科学が「心」の全貌をあっという間に明らかにしてしまうと考えがちの研究者や、あるいは、研究の限界を知ってか知らずか、過剰な解釈を与えるような情報を発信する科学者への警鐘でもありそうです。
もう一冊、こちらは、まだ読んでいないのですが、友人に教えてもらった本の前書きに、アメリカ人は科学技術に対して非常にfavorable opinionを持っているが、基礎的な科学的事実や概念を理解していないし、基礎となる科学的な手続きにも慣れていないと、いつも指摘されると書いてあり、さらにCarl Sagan が書いたという、こんな言葉を紹介していました。
We live in a society exquisitely dependent on science and technology, in which hardly anyone knows anything about science and technology.
Everyday Practice of Science: Where Intuition and Passion Meet Objectivity and Logic
Frederick Grinnell (著)
昨年のベストセラーが血液型本だという日本も、アメリカと状況はほとんど変わらないと思いますし、となると、科学者は、そのことを念頭に置いて、一般向けに話をすべきなんでしょうね。
ぼくはパターナリズムが嫌いなので、過剰な解釈をつけたり、自分の価値観に誘導したりしないようにするためには、やはりリテラシーを上げることが一番だと考えます。とりあえずは、媒介の専門家が必要かな・・・2年前に参加したシンポジウムで知り合った、阪大の小林傳司先生の話を思い出しました。
小林先生の本: 「公共のための科学技術」


Comments
最近の「 President Family」というお受験煽り雑誌に「MRIで子供の能力を上げる」みたいな特集がありましました。
まずMRIで子供の脳の断面図を取り、領域ごとの大きさで「聴覚記憶は強いが視覚の判断が遅い」といった診断をして、読本の要約などその能力を上げるような訓練をするのです。
そしてまたMRIを撮影して「ほら、視覚野が大きくなりましたよね」とか「しわが深くなりましたよね」などと言っているのですが、大きさやしわが能力を規定するなんていつ決まったのでしょうか?
そもそもMRI写真はちょっとした断層の取り方の違いでしわは深くも浅くも見えるんじゃないかと思うのですが・・
Posted by: bloom | 2009.02.09 at 10:51 PM