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脳神経倫理学:ニューロエシックス

2年前から取り組んでいて、後書きを書いたのは3月だったのに(・・・orz)
とても時間がかかり、こんなに遅くなってしまいましたが、ニューロエシックスの
世界でも最初の教科書的な本を監訳出版しました。

脳神経倫理学 Neuroethics  篠原出版新社 6500円
http://www.shinoharashinsha.co.jp/Books2.aspx?PID=211&PNO=-1

高価ですし、難解な章も多いですが、この分野は、今後の10~20年間に、どんどん重要性が増すと予想しますので、多くの方に読んで頂きたいなと思います。

また、ぼくがなぜこんなことに興味を持っているのかを、後書きで紹介しています。上述の篠原出版新社のHPでも読めますが、こちらにも、ペーストしておきます。

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 本書の翻訳のきっかけは、2005年11月12日に熊本大学生命倫理研究会で私がニューロエシックスを取り上げたことです。個人的な話ですが、この分野が生まれた経緯にもつながりますので、私が興味を持った理由を紹介して、監訳者としての後書きとさせて頂きます。
 中学高校時代にたくさん見た映画の中で、「カッコーの巣の上で」(日本公開は1976年)は、最も強いインパクトがありました。この作品はロボトミー手術や精神病院における人権問題を描いたもので、「医学が心を操作できる」、「医学が非倫理的になりうる」ことを印象づけました。私は1981年に東京大学に入学しましたが、翌82年に日米の学生45名ずつが米国で1ヶ月間生活をともにして議論する第34回日米学生会議に参加して、「バイオエシックス」をメインテーマにするグループに入りました。日本ではこの言葉はまだ広まっていない時代でしたが、グループのリーダーは東京大学医学部の赤林朗さんで、現在、東京大学大学院医療倫理学分野教授であり、このテーマを専門にしています。メンバーには、北海道大学医学部の松浦淳さん、聖心女子大学文学部の赤津晴子さん、ICU国際基督教大学の井伊雅子さんらがいましたが、松浦さんがそのまま医師になったのは当然ですが、赤津さんも文系から転じて米国で医学部に進み医師になり、ジョージ・アナスの「患者の権利」を翻訳しました。また井伊さんも、現在、一橋大学国際・公共政策大学院の教授ですが、医療経済・医療政策も手がけて、医療に関係した仕事をしています。私自身は、卒後2年間の医師としての初期研修後は、基礎医学の中でも分子生物学という、もっとも物質レベルに近い学問を専門にしてきました。しかし医師としての診療も続けて、その中で、医療における倫理問題を常に考えてきました。そして、学生時代に新しいと思って飛びついた「バイオエシックス」が、20年間で、生命倫理という言葉に成熟するのを見てきました。日常的な診療においても医療倫理が問われるようになり、最近、その変遷を小論にまとめました(「日本の生命倫理~回顧と展望~」九州大学出版会、第4章医師・患者関係の変遷)。
 現在の私は、「睡眠」という生理現象に興味を持ち、脳の科学としての「睡眠」を研究しながら、医療としては、睡眠障害に悩む患者さんの診療に当たっています。そして、研究面でも、診療面でも、「ニューロエシックス」に深く関係しています。まず「睡眠」という脳の状態は、誰でも毎晩経験するように、「意識がない」状態です。しかし意識がないというのは、いったい「何がなくなっている」のでしょうか?それを考えるためには、「意識」を定義できなければいけません。しかし、その肝腎の「意識」の研究は、脳科学の中でも未解明の部分で、特に自分が自分であると感じる「自己意識」は、もっとも難しい問題であると考えられています。睡眠中も脳は機能を完全に停止しないことから、覚醒中の脳の働きと、睡眠中の脳の働き方の違いを調べることは、意識を規定する方法の一つで、「睡眠」研究者は「意識」研究者でもあります。意識、あるいは心と脳の関係は、本書にも出てくるように、哲学的には解決できないとされる部分もあります。しかし、一方で、脳科学が「自分が自分である」と感じる脳の機能を追及していく中で、古典的な「自分=自己」に対する見方に、大きな影響を与えつつあることも確かです。脳科学が究極まで進んだ時に、今、私たちが一般的に持っている「自分の心」についての見方に、何らかの大きな変化が起きうるのか、あるいは、そんなことは起きないのか、という疑問は、脳科学研究者の大きな関心です。また変化が起きうるならば、責任もあるでしょう。
 一方、学問を離れた日常診療の場面で、私は睡眠障害、特に眠気のひどくなる病気の患者さんたちの診療をしています。たとえば、ナルコレプシーという病気では、脳の中で覚醒を促すオレキシンという物質が不足することで、夜間にきちんと睡眠時間を確保しても、日中の眠気がひどく、社会生活に支障をきたします。この病気は中学生から高校生の時に発症することが多く、授業中に眠ってばかりいて成績も下がってしまいますが、覚醒作用を持つ薬で症状は改善し、成績も向上します。ところが、進学校の高校生の平均睡眠時間が6時間を切っている日本の社会で、多くの生徒が睡眠不足状態であり、授業中には居眠りをしています。睡眠の必要時間には個人差が大きいので、同じ時間眠っていても、眠気が極端にひどくなる生徒もいます。そのため、眠気という「主観的」な症状から判断すると診断が灰色になって、病気とも正常とも言い切れない場合があります。そのような時に覚醒作用をもつ薬を処方することは、「良いこと」なのか、「正しいこと」なのか、どのような基準で判断すべきか迷います。また現実として、これらの薬がスマートドラッグとして病気以外の人にも使われつつあり、睡眠障害診療にあたる医師にとっては、脳機能のエンハンスメントも、とても身近な問題です。そして、コーヒーやカフェインの錠剤なら良いのに、医師の処方が必要な薬はいけないという根拠は、いったい何なのだろうかと考えると、わからなくなってしまうこともあるのです。
 また、このような説明が容易な理由に加えて、私が脳科学、認知科学と哲学の接点を学びたいと思っているより強い理由は、やはり、「なぜ人は生きているのだろうか?」あるいは、そもそも「なぜ私は自分が生きていることについての根拠を求めて悩んでしまうのだろうか?」という物心がついた頃からずっと問い続けている根源的な疑問に、自分なりにアプローチを続けたいと思っているからです。その点で、熊本大学に2002年に赴任して、基礎医学、臨床の診療に加えて、生命倫理研究会に所属して、私自身の専門分野である医学・生物学とは全く異なる分野に所属する哲学・倫理学・社会学などの先生方とさまざまな勉強をすることができたのは、大変、幸福なことでした。そして、その中で、自分自身が少しでも専門的に貢献できる分野を探していたときに、「ニューロエシックス」と出会い、冒頭に書いた生命倫理研究会での発表で取り上げたのです。この時には、「ニューロエシックス」の最初の国際会議の抄録を簡単に翻訳して紹介しました。(英文ですが、ダナ出版のホームページから全文がダウンロードできます。
http://www.dana.org/news/publications/publication.aspx?id=9496)
 この抄録集は、本書のエッセンスにあたり、本書の翻訳を前に読んでおいて良かったですし、読者の方にも一読をお勧めします。(残念ながら全文の公開は終了したようです。)
 本書を翻訳し終わった今の段階では、「ニューロエシックス」はまだ成熟した一分野として独立しているとは考えませんし、脳科学進歩のインパクトはまだそれほど大きくはないと思います。しかし、目新しい言葉だった「バイオエシックス」も、生命の始めと終わり、つまり、生殖技術の進展、ゲノム情報を用いた出生前診断・発病前予測、クローン人間技術、脳死の問題、などを扱う中で、「生命倫理」という言葉で日本の文化に入りこみながら、従来の人間観に大きな影響を与えました。それと同じように、今後10年単位の時間の中では、「ニューロエシックス」は、脳と心の問題を扱う中で、個人や自己決定、倫理的な考え方の本質に迫り、やはり社会に大きな影響を与えるでしょう。そして、「脳神経倫理」という言葉に成熟しながら、生命倫理と同じくらい重要になるだろうと予測します。その歴史の中で、本書の翻訳が、多少でも社会に貢献することがあれば良いと願います。本書は、共同監訳者である熊本大学文学部の高橋隆雄教授の研究室の学生さんたちにより翻訳されたものを、高橋教授と私が目を通して完成しました。脳科学の部分の翻訳の正確性に関しては、私が浅学ゆえに不十分な点が多々あると思います。お詫びをするとともに、必要な場合は原典も当たって頂きたいと考えております。また、大変な作業である初訳をしてくれた学生の皆さん、特に中心になって進めてくれた加藤佐和さん、田口修平さん、片岡宣子さんには、心から感謝します。私自身、単行本の翻訳は初めてで、これほど疲弊する作業とは思わず、途中で何度か投げ出しそうになりました。
 最後に、本書を世の中に出すためにご協力を頂いた篠原出版新社と同社の井澤泰様に、深く感謝いたします。


                 2008年3月26日            
                 熊本大学発生医学研究センター  粂 和彦


                  【目 次】

 翻訳にあたって/高橋 隆雄 ⅰ
 日本語版序文 脳神経倫理学における国際連携/ジュディ・イレス ⅳ
 まえがき/コリン・ブレイクモア ⅶ
 まえがき/アーサー・L・カプラン ⅹⅰ
 序章/ジュディ・イレス   ⅰⅹ
 謝辞
 

   PartⅠ 脳神経科学、倫理、主体、自我      1

 第一章 道徳的意思決定と脳/パトリシア・スミス・チャーチランド    2
 第二章 脳神経倫理学のケーススタディ:道徳判断の本性/
                      アディナ・ロスキース 26
 第三章 道徳的責任・法的責任と新しい脳神経科学/
                     スティーヴン・J・モース 55
 第四章 脳、うそ、そして心理学的説明/トム・ブラー       88
 第五章 世界の内に存在するということ:脳神経科学と道徳的行為者/
                           ローリー・ゾロス 106
 第六章 創造性、感謝、エンハンスメントの議論/エリック・パレンス 131
 第七章 神経変性疾患における倫理的ジレンマ:主体の衰退期における患者の尊重/
アグニェシュカ・ヤヴォフスカ 153

   PartⅡ 脳神経倫理学の現場   181

 第八章 ゲノムからブレイノムへ:教訓を生かす/ロナルド・M・グリーン 182
 第九章 脳研究における被験者保護:プラグマティズムの見解/
  フランクリン・G・ミラー、ジョセフ・J・フィンズ  210
 第一〇章 脳神経倫理学の事実、フィクション、未来/
                     マイケル・S・ガザニガ 239
 第一一章 絵は一千語の価値をもつが、どの一千語なのか?/
    ジュディ・イレス、エリック・ラシーン、マシュー・P・キルシェン 254
 第一二章 遺伝子と脳が一体となるとき:ゲノム脳画像の倫理的意味/
タルハン・キャンリー 284
 第一三章 脳のエンジニアリング/ケネス・R・フォスター 308
 第一四章 経頭蓋磁気刺激と人間の脳:倫理的評価/
   メーガン・S・スティーヴン、アルヴァーロ・パスキュアル・レオーネ 333
 第一五章 機能的脳外科手術の介入:手術室の中の脳神経倫理学/
          ポール・J・フォード、ジェイミー・M・ヘンダーソン 349
 第一六章 医師、患者、脳/ロバート・クリッツマン 376


   PartⅢ 正義、社会制度、脳神経倫理学 397

 第一七章 脳神経科学の進歩が社会に与える影響:法的問題、法的観点/
ヘンリー・T・グリーリー 398
 第一八章 教育における脳神経倫理学/
  キンバリー・シェリダン、エレナ・ジンチェンコ、ハーワード・ガードナー433
 第一九章 貧困、特権、および脳の発展:経験的知見と倫理的含意/
    マーサ・J・ファラー、キンバリー・G・ノーブル、ハラム・ハート 454
 第二〇章 脳神経科学の諸問題に対する宗教的応答/
                    ポール・ルート・ウォルプ 473
 第二一章 映画の中の心:大衆メディアにおける心の描写の脳神経倫理的検討/
マレン・グレインジャー-モンセン、キム・カレットスキー 489


 あとがき 脳神経倫理学:新しい学際領域を描く/ドナルド・ケネディー 515
 解 説/田口 周平 531
 監訳者 あとがき/粂 和彦 538

 索 引 542
 翻訳分担一覧

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