タミフルと異常行動:現時点でのまとめ
厚労省研究班の計算法を批判する記事が掲載されました。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080731k0000m040110000c.html
リンクは切れていますので、こちらがPDFです→「Mainichi20080731Tamiful.pdf」をダウンロード
ただし、ここに出てくる津田先生、浜先生と、ぼくは、計算法を批判している点は同じでも、タミフルという薬に対する考え方は、多分、3人がそれぞれに異なります。ということで、ぼくの現在の考え方をまとめておきます。
まず、厚労省の調査は、廣田班のものだけではなく、岡部班のものもあります。こちらは異常行動を起こした例だけを集める形式なので、発症率とかタミフルの影響があるかどうかの、結論は言えません。ただ、何も内服をしなくても、かなりの割合で異常行動が発症していることは確認できますし、実際、非服用者の報告数の方が多いのです。(マスコミは、こちらは全然、報道してなかったですね)
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/07/dl/s0710-6al.pdf
また、廣田班の結果も、「移動操作前」のタミフル非処方群の8.8%という値は間違いのないもので、異常行動が、驚くほど高率に起きていることを示しました。これは医師として、非常に恥ずかしく感じる結果です。というのも、タミフルの副作用騒動が起きる前には、熱譫妄は知られていても、インフルエンザにかかった人に「行動の異常に気をつけるように」と助言した医師は、少なかったからです。少なくとも、教科書には、そんなことは書いていなかったわけで、これを見つけられたことが、最大の収穫です。インフルエンザほど、ありふれた病気で、このようなことが記載されてこなかったという点を、医師として恥ずかしいと思うわけです。それから、さまざまな動物実験から、タミフルに神経細胞に対する作用があることも見つかりました。これも収穫でしょう。ノイラミニダーゼというウィルスの酵素を阻害するのが主作用だと思っていた薬に、思わぬ作用が見つかったわけですから、今後の新薬開発時にも、注意をしていくべきです。
さて、肝心の調査結果の解釈ですが、前回も書いたように、タミフルを処方されたグループと、処方されなかったグループの間に質的な差があった可能性はあるので、結局のところ、異常行動を増やすとも減らすとも、確定的なことは言えません。また、タミフルを処方された人は、異常行動をより多く報告する傾向があるというようなバイアスも考えられます。その場合、当然、タミフルには不利な調査結果が出ます。ですから、とりあえず、「多少、増やす可能性がある」程度の解釈が、現時点では無難だと、ぼく自身は考えています。グレーのものはグレーであって、白と言っても黒と言ってもいけないというのが、ぼくの考え方です。
ただし、タミフルと異常行動を考える上で、最も重要なことは、「因果関係」という言葉の使い方です。これは、以前のエントリーにも書いたことですし、最近、他のところにも書いていることですが、もう一度繰り返します。
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今回も「因果関係」という言葉が気楽に使われて報道されていますが、薬と副作用の「因果関係」について、病気と病因の「因果関係」と同様の理解不足があると感じています。輸血によるHIVやHCV感染は、エイズやC型肝炎という病気が、ウィルスという「必要十分条件」を満たす病因を持つ病気だからこそ、確定的に「薬害」と言えたわけです。硬膜によるヤコブ病もそうでしょう。しかし、このように「病因」と「病気」に確定的な対応関係があるのは、感染症とか、一部の中毒などだけで、癌・動脈硬化性疾患群・アレルギー性疾患群などなど、「多数の病因・要因により引き起こされる病気」の方が、医療の中では多いのです。インフルエンザ時の異常行動も、タミフルを飲まなくても起きることは、ぼく自身ずいぶん前に指摘していることですし、今回の調査結果でも裏付けられています。とすると、異常行動を多少増やすとしても、それは「因果関係」という言葉が一般に使われるような1対1対応の危険性とは全く異なるわけです。その点で、今回のタミフル騒動は、「少しだけ危険性を増やすけれど、効用もあるものをどう考えていけば良いのか」という、医療行為が全般的に内包する難しい問題を、一般市民のみなさんにも考えて頂くのには、絶好の題材だったと思うのです。ですから、厚労省研究班が、そのような難しい道を選ばず、非科学的な統計手法を使って、「差はない」という結論で逃げてしまいそうなのは、大変残念です。今からでも修正して、市民・マスコミの医療リテラシー向上の題材として欲しいですね。
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このように考えていくと、タミフル服用後の異常行動で何らかの被害にあった方がいる場合、それが「タミフル」によるものであるのか、タミフルを飲まなくても起きたものなのかは、結局、確率的な議論しかできないことになります。
たとえば、被害を50%増やすとしたら、2人の被害者が3人に増えることになります。するとタミフルが増やしたのは1人分ですから、それぞれの人について、タミフルによる責任は3分の1ずつの33%という感じになるのでしょう。3人分を全部、タミフルのせいとして責任を取らせるのは、正しくなさそうです。
また、異常行動が多少増えるということだけなら、タミフルの効用が大きいと考えられるシチュエーションでは、処方をしない理由にはなりません。ですから、きちんと注意を与えれば、10代への処方制限の解除も考えても良いでしょう。
余談ですが、ぼくはタミフルには恩も恨みもありませんが、このブログでずっと取り上げてきた理由は以下です。最初にタミフル内服後の異常行動が報道された時に、小児科医が1000人以上参加しているメーリングリストで大きな話題になりました。タミフルを処方した後に異常行動を経験した医師と、逆に、インフルエンザだけで異常行動を経験した医師の両方がいました。そこで、「インフルエンザの異常行動」がどのくらいあるのかということに興味を持ったので、経験を持ち寄ってもらいました。でも、その調査では実際の割合などはわかりません。今回の調査結果は、その興味に、ほぼ答えてくれたので、ぼくの役割もほぼ終わりかと思います。
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Comments
先生の意見に概ね同意です。
ただ、異常行動で亡くなった方の親族の立場に立つと、誰に対して、何に対して怒ったら良いのか割り切れない気持ちだと思います。
私もタミフルに責任を全て負わせて製薬会社や処方した医師に損害賠償をするのは筋が違うと考えるのですが、インフルエンザによる異常行動を注意喚起することが無かった医師の態度には問題があるのではないでしょうか。
ただし、インフルエンザが世界的に何度も流行を繰り返していながら、どの国の医師も気付いていなかった現象であるのなら、私達を含めた研究者全体の責任なのかも知れません。
Posted by: bloom | 2008.08.02 07:30 AM
責任を追及したいという気持ちは、向上心の一つの形だと思うので、その原動力になる「怒り」の気持ちも否定はできません。ただ、たとえば、キュブラーロスの死の受容の5段階ではないですが、割り切れない怒りを超えてもらうために、怒りの対象が不条理なのだということを、理性の側で理解してもらわざるをえないですよね。そのためには、やはりそばにいて、事実を受容する助けになれる人間が必要でしょうね。怒りを煽るのではなくて・・・
それと、今回の調査はもともとデザインが悪かったわけで、本来は、もっときちんとしたデザイン(二重盲検法など)で、調査をすべきです。重大な副作用だけを調べるのだと、サンプル数がすごく大きくなりますが、軽い異常行動が10%も起きるのなら、それほど大きくないサンプルサイズでも再調査できるはずで、それをする責任は、やはり利益をあげている会社側にあるのかと思います。
補足ですが、副作用かもしれない被害については、疑わしきは(割合に応じて、一定の)補償をすべきだというのが、ぼくの考えの根本です。それは、予防接種やPL法による消費者保護と同じ考え方で、「副作用ではないと証明できる」もの以外は救済されるべきということです。
企業はその製品で利益を上げるわけですから、「自社製品のせいではない部分の被害」まで含められてしまうリスクは、企業側が負わざるを得ず、やや広めに救済に協力するべきかと思います。
Posted by: オーナー | 2008.08.03 01:12 AM
こんなマジックがあります。
父の遺産の牛が11匹いました。
遺言では、長男には半分、次男には4分の1、三男には、6分の1を与えると書いてありました。しかし、牛が割り切れないので、困っていたところ、賢い男が通りかかり、牛を一匹貸すというのです。
兄弟は牛を借りて12匹のうちの半分の6匹を長男が、3匹を次男が、2匹を三男がもらいました。それでも牛がまだ一匹余ったので、その男に返しました。
誰も損もせず、得もせず、遺言通り遺産を分配して、仲良く暮らせました。
物語は、ハッピーエンドなら、途中の計算はどうでも良いでしょう。
Posted by: オーナー | 2008.08.27 10:58 PM