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切れるは、つながる

先週、下の息子(小6)の通う小学校の保健委員会の講話で、「脳の中の時計の上手な使い方」というタイトルで、5年生・6年生にお話をしました。ぼくの話の前に、20分ほど、「ふくろうさんと、ひばりさんの生活」という寸劇とパワーポイントを使った発表を保健委員さんたちがしてくれて、なかなか良かったです。

これで、今年度は、本業の大学・大学院講義に加えて、第二高校(全学年全クラス)、附属中学(全学年全クラス)と、小学校で、「サイクルヒット」達成です(笑)。保育園の保護者の会でも話したので、ほぼパーフェクト!しかし、小学生は、中高生と異なって大人用の普段の話ではダメでしょうから、どの程度のレベルの話を退屈しないで聞いてくれるのかが難しくて、準備も本番も、結構疲れました。でも、楽しんでくれたようで、50分ほどの話の後、質問が途切れず続いて(これは中高の時もそうでしたが)、良かったかなと思います。

内容は、睡眠の大切さと、生活リズム(体内時計)を整える大切さを伝えたかったのですが、大人相手の場合には、体内時計という現象そのものの面白さや、その遺伝子機構の面白さで、充分、興味を引くことができます。しかし、その話は小学生には少し難しいです。

そこで、今回は脳の話から入りました。師匠の養老先生の話を少しパクッて、まず、脳は何をしているのか?入口(目・耳など)から何かが入ってきたら、「考えて」、出口(口・手・足)から外に出す、この間の働きをしているのが「脳」だよ。だから、「バカ!」って言われて、すぐ「何だこの野郎!」って、すぐ叩いたりしたら、「耳から入って、手に出て行く」でしょう?だから、「切れる」って言うけど、あれは、本当は脳の中では、耳と手が直接つながっちゃっているんだよ。切れているのは、「考える」部分だよ、というのが、タイトルの話で、これは印象に残ったらしくて、その後、息子の友だちも、「切れるは、つながるんだ」と感心してました。

で、次に、「意識」と「無意識」を説明して、脳の無意識の機能の部分の大切さを体験させ、無意識の部分である脳の中の時計も、上手に使わないと、良い生活ができませんよ、という話の流れです。無意識の説明は、実は深めれば本当はすごく難しい話ですが、「錯覚」などを使って体験させると、楽しいし、思いがけないひらめきがあるので、とてもよく乗って聞いてくれました。いつも使う、カニツァの三角形と、ルビンの壺、すれ違うボールの錯視、立命館大学の北岡明佳先生の錯視などに加えて、最近は、中央大学の山口真美先生のフラッシュファイルもいくつかお借りしています。

山口真美研究室(赤ちゃんシアターの中に、いろいろなムービーがあります)
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~ymasa/index.html

パワーポイントにフラッシュのアドイン(Swiff Point Player)を入れるとプレゼンでも使えて重宝します。いつかお目にかかる機会があれば、お礼を言わねばです。

ぼくが作ったものは下記に置いてあります。これだけ見てもわかりにくいかもしれませんが、非営利目的でしたら、ご自由にお使い下さい。

第二高校発表資料
http://www.k-net.org/daini.html

それと、小学生用の絵を調べていたら、形式的には同僚になるので灯台下暗しで、熊大附属小学校の前田康裕先生という方が、いろいろなイラストをアップされていました。

D-Project2: 教育用イラスト集
http://www.d-project.jp/museum/free_illust/main.html

こういう資源を使わせて頂けることに感謝ですね。

ということで、小学生向けには、あまりに難しい言葉と思いながら、多分、誰も知らない言葉を一つ教えたくて、最後に、「所与(しょよ)」という言葉を説明して、いいこと、悪いこと、楽しかったこと、辛かったこと、全ての与えられたことを、所与のものとして受け止めて、それに感謝して、卒業して下さいと締めくくりました。

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