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予防接種の目的:その功罪

先日、法律家の方から、予防接種に関して質問を頂きましたので、そのやり取りをご紹介します。

ちょうど「医療ルネッサンス」でも、示唆的な記事がありました。政策立案者は、被害者・当事者の感情に配慮する必要はありますが、政策として何が優れているのかを冷静に判断した結果が、一部の人の感情を傷つける場合もあります。そのような場合、どのように対話を続けられるかが、とても重要です。そしてそこに強く関与しうるマスメディアの役割も重要で、今回の記事を高く評価します。(記事の紹介はこの項目の最後にあります)

<質問:一部省略しています>
 はじめまして。予防接種に関する記事よまさせて頂きました。医学者としての立場から意見を伺いたくてメールしています。予防接種において、副作用でなくなる方、後遺症を発症してしまう方はまれにいらしゃいます。けれども、予防接種は必要という考え方に対してどのように考えますか?全体の利益を考慮すると、少数の個人の利益が害されても仕方がない、と医学者的には考えるのでしょうか。

<私の答:一部改変しています>
 とても難しい質問なので、メールで簡単に答えると誤解を招くかもしれません。また、医学者として、とありますが、医学にもさまざまな分野がありますし、同じことを勉強しても異なる結論にたどりつくこともあります。ですから、以下は、私見と考えてください。

まず、予防接種の目的には大きく分けて2種類あります。

 最初の目的が、個人の疾患の予防です。ほとんどのワクチンで初期の最大の目的は個人の福祉でした。過去形に注意して下さい。たとえば、麻疹ワクチンの場合、ワクチンをしなければ、ほぼ100%近い確率で麻疹に罹患し、1000分の1程度の確率で死亡または、大きな後遺症を残します。ワクチンを打てば、罹患することを95%以上防ぐことができます。しかし、ワクチンによる副作用が10万分の1程度の確率でおきます。この場合、全体の利益ではなく、個人の利益と、同一個人の不利益のリスク・ベネフィット分析をすることになります。(これらの数字は医学的に正確ではありません。必要なら文献をお調べ下さい。)この場合、たとえばワクチンで副作用が起きても、「全体の利益のために、少数の個人の利益が害された」というようには、ぼく自身は考えません。「個人の最大の利益」を目指したが、偶然、結果が悪かったというように考えられると思います。このことは、予防接種だけではなく、医療行為全般、あるいは、通常の社会生活一般の中で、考えるべき分析と同じレベルです。たとえば、どうしても遅れたくない会合に出席する時に、タクシーだと渋滞に巻き込まれて遅れる危険性があるからと思い、わざわざ電車を使ったのに、事故で電車が遅れるというような経験は、誰しもしているかと思います。でも、たとえそのような不運に会っても、次もやはり電車を使う人が多いでしょう。

 次の目的が、公共の福祉(社会防衛)です。麻疹のように、ヒトからヒトに感染する病気の場合、一人の発症を防ぐことは、次の感染を防ぐことになります。○○さんがおっしゃる「全体の利益のため」というのは、こちらの目的かと思います。この目的のために、予防接種が勧められる時には、利益の受益者は他者であり、リスクの負担者が自分だということになります。もし予防接種がこの目的「のみ」で行われている場合には、「全体の利益のために、少数の個人の利益が害される」という表現もできると思います。利己的ではなく、利他的な予防接種ですね。

 何より難しいのは、この二つの目的の割合が、疾患により社会状況により変わりうることでしょう。以前の麻疹は、上述のように、ほぼ誰でも罹患していた病気で死亡率も高かった。ですから、第一の目的だけで、充分、予防接種を強く勧める根拠になり、そのことが、第二の目的にもつながるので、何の疑問ももたれなかったわけです。

 しかし、現在のように発症が散発的になると、ワクチンを接種しなくても罹患するとは限らないですし、医学の進歩で死亡率も、おそらく多少減ってきていると思います。それでも、ご存知のように、今のところ、麻疹は、日本では、まだまだ発症が多いため、ワクチンが間違いなく必要と言い切れますが、アメリカや韓国などの絶滅宣言をした国の場合、たとえば日本からの旅行客と接しない子どもたちには、ほとんど必要ないとも言えます。このことは、天然痘の撲滅過程を振り返って頂ければわかります。つまり、全体として歴史は高く評価している天然痘ワクチン(種痘)も、今の視点からは副作用率が非常に高かったため、中止時期に関しては、当時にも、事後的にも、賛否両論はありました。

 これが、たとえばポリオになると、もっと状況ははっきりしていて、日本にはポリオの発症は既に何年もありません。それでも、予防接種を続ける意義は、たとえば下記のように説明されています。
http://www1.mhlw.go.jp/topics/polio/tp0831-1_a_11.html

 長々と書きましたが、私は予防接種の被害者の方たちとも交流があるので、「仕方がない」という表現には、とても割り切れないものを感じて、そのような表現を彼らにすることはできません。しかし、人間が社会的な動物であることを考えれば、利他的と見える行為も、視点を広げれば利己的な行為であり、「ある個人」が不利益を受けても、全体の一部として「その個人」が受けた利益が、それを上回ると納得できれば良いだろうし、私自身は、自分が被害にあった場合には、そのように考えたいと思います。


<私の追伸>
 お返事を書いた後に、現在、小児科医の世界では大きな心配の種になっている日本脳炎ワクチンについて、医療ルネッサンスが以下の記事を掲載しました。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20070914-OYT8T00056.htm

 この記事のお父様のように、冷静な考え方ができるようになるまでに、人間は時間がかかります。それまでの間、本当に近くにいる人間は一緒に泣き、時には怒らないといけないでしょう。しかし、マスメディアの影響で、全国の人間が怒り狂うとしたら、やはり何かおかしいと思います。さらにその影響で、政策が感情に基づいたものになることは、とても変だと、法学者の方には気がついて欲しいと思います。

さらに追伸ですが、彩さんのその後についての記事にもリンクをしておきます。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20070917-OYT8T00083.htm

このシリーズで取り上げられているムンプス難聴も、小児科医のMLで御一緒している先生たちの仕事で、発症率が高いこともわかってきましたので、重要です。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20070912-OYT8T00075.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/bloom_komichi/51952450.html

また、手前味噌ですが、私が麻疹ワクチンについてコメントした古い記事にもリンクしておきます。
http://www.k-net.org/opinions/measles.html

さらに、さらに、友人の記者が、こんな文を書いてました!これも味わいのある文章です。

体験的ワクチン報道論  朝日新聞記者 保健・医療担当 和田 公一
http://www.npo-bmsa.org/wf093.shtml
・・・「世論」がある方向に向かって大きく動いているとき、その流れに抗して冷静な議論を展開することは、現場の一記者にとって、結構難しいことなのだ。
・・・「予防接種=悪」という世論が形成され、各種メディアもその流れに乗ったのだろう。

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Comments

私はそのシリーズのおたふく風邪の回で取材を受けた母親です。
単純に予防接種を勧める訳でなく、副作用や制度上の問題まで視野に入れた良い記事だったと思います。

私たちムンプス難聴の患者やその家族は予防接種を勧めていますが、予防接種反対派の方々から「全体のために個人が犠牲になって良いのか」「MMR裁判を忘れたのか」などの批判を度々受けてきました。
ですから、「個人対個人の利益が中心である」という視点はとても参考になりました。

読売新聞でも紹介された「ムンプス難聴のお部屋」は以下の URL です。
http://www.geocities.jp/mumps_deafness/

Posted by: bloom | 2007.09.25 at 12:37 PM

こんにちは。
彩の父親です。あまり冷静でも無いのですが、娘が一所懸命がんばっているから 涙も恨みも薄れてきたんです。
17日の医療ルネサスもご覧になられたでしょうか。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20070917-OYT8T00083.htm

Posted by: 彩の父 | 2007.09.25 at 08:44 PM

彩さんのお父様、コメントをありがとうございました。
ご本人の目からは失礼なコメントだったかもしれませんね。お詫びします。もちろん17日の分も読んでいましたが、読者のために本文にもリンクを追加しました。彩さんとコミュニケーションができた時のことを読んで、思わず涙ぐんでしまいましたが、本当に人と人との関係(ケアと呼びたいです)は、かけがえのないものですね。日本脳炎については、発症率の推計値に幅があることと、人から人への感染がないため、個人だけのリスクを考えると、厚労省の判断はリーゾナブルと思われますが、歴史しか証明しないでしょう。

bloom さん、記事に登場した方からコメントをもらえるというのも、ネットの世界ならではです。MMRが始まった頃の日本のムンプスワクチンは、副作用が多くて、ぼく自身の子どもたちにも接種するかどうか少し迷いました。ただ、その後、米国に住んでいる間にMMRを二人とも受け、日本はホントにワクチン後進国だと感じています。しかし、ワクチン慎重派の人たちの意見も傾聴すべき部分がたくさんあります。安易な総論的な二分論に陥らず、丁寧に対話をしたいですね。これも一つのケアだと考えますので。

Posted by: オーナー | 2007.09.25 at 10:01 PM

彩さんの記事は私のブログでもおたふく風邪の件と一緒に紹介しました。指摘した相談窓口の不備は私が予防接種を勧めきれない大きな要因です。

予防接種が個人の利益のためなら、予防接種の副作用に最大限に気を配ることが必須のはずです。しかし今の日本で良く分からないから接種しないとか、良く分からないけど接種するといった状況になっているのは本来の目的から外れているように思います。
また、ワクチンの質にも問題があるし(おたふく風邪の場合、発売した会社によって副作用の発生率がずいぶん違いました)、トレーサビリティにも不備が多いです。
そのような点について予防接種慎重派の方から批判が出るのは当然だと思っています。

ただ予防接種反対派(慎重派ではなく)の方々からは「昔ははしかだって自然にかかっていたのに、今時の親はひ弱だ」とか「たかが片耳聞こえなくなったくらいで」といった批判というより非難の言葉をぶつけられることが多いです。
私の娘の片耳がダメになって、その事自体でもとても辛い思いをしましたが、同じくらい辛かったのは「治らないのに何しにきた」といった医師の態度と上記のような無神経な言葉です。

おっしゃる通り、二元論ではなく客観的に個人と集団の利益を考えていきたいです。

Posted by: bloom | 2007.09.25 at 10:54 PM

 予防接種反対派の方々の意見には、理性的、あるいは科学的ではないと思われるものも多々あります。実際、傷つけられたこともおありのようで、それでは意見ではなく非難・誹謗か、良くても信念の押し付けです。批判的になる気持ちはよくわかります。
 ただ、相手側の意見が感情的・非科学的だと批判したい時には、とりあえず自分の側の感情は棚上げし、信念ではないレベルで語らないと、結局、同じ土俵に立ってしまいます。信念同士の議論には勝敗がつきません。科学や論理で勝てないからそのレベルに持ち込むというのは、ディベートでは、よくある戦略で、それはなるべく避けたいというのが、ぼくの考えです。
 頭はクールに心は熱くと、よく言いますが、ぼくはひねくれ者なので、頭(脳)は熱くフル回転して考えて、心(感情・信念)はクールにしたいと考えています。この「心はクールに」というのは、「自分の信念だけでは語らない」ということです。なかなか難しいんですけどね(^_^;)


Posted by: オーナー | 2007.09.26 at 11:56 PM

この記事を元に作られたTV番組を、
WEBで見ることができます。

http://www.yomiuri.co.jp/stream/index/tvrenai/ir44.htm

Posted by: オーナー | 2007.12.02 at 10:25 PM

人は感情に左右される動物
医療者もマスコミも法律家もそれを理解していかないとですね、、、

Posted by: さーさい | 2007.12.03 at 07:23 AM

 コメントには、感情と理性を、わざわざ分けて書きましたが、脳科学的には、どちらも脳が作り出すもので、基本的にはわけられないものだと、私は考えています。
 特に、注目されるのは、「理性的(と考えられる)」価値判断の基準になるのが「情動」であることが、ダマシオたちの研究などから明らかになっていることです。
 番組で、予防接種はロシアンルーレットだと話していたお母さんがいましたが、通学路で交通事故に会うことも多いので、本当は学校に行くことだって「ロシアンルーレット」のはずですが、そのような「感覚」はもてないものです。それは、多分、「通学」という慣れきった行為が、情動系を動かさないからでしょう。予防接種を判断する段階で、急に副作用のこととか聞けば、情動系は強く働きます。
 また人間の行動の価値基準もいい加減なものです。私たちの日常生活でも、3000円のTシャツが1500円だったら30分かけて買いに行く人が、新幹線代を3000円節約するために30分余計にかかる在来線では行かないとか、スーパーで50円引きのものをいくつか喜んで買った後に、高いコーヒー(でも味の違いは多分わからない)を買ってしまう、などなど、少し状況が異なるだけで、全く首尾一貫しない行動をします。今日の1000円と、来年の50%の確率でもらえる3000円(期待値1500円)のどちらを取るかなんて、難しすぎる問題ですよね?
 たとえ確率は小さくても自分の選択で今すぐにリスクを取ることと、確率は高そうだけど、将来に漠然としたリスクを残すことの比較は難しすぎます。大袈裟に言えば、生き方ともかかわりますから、その部分の教育から始めるのが大切ということになるでしょうか・・・
 ただ、小児科医・医師は、より総合的・専門的に冷静にリスク判断ができるはずなので、もっと予防接種を勧奨すべきです。その時に、当然、個々の予防接種ごとに勧奨の程度を変え、副作用に対するきめ細かい配慮をすべきでしょうね。

Posted by: オーナー | 2007.12.03 at 09:10 AM

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