« March 2006 | Main | June 2006 »

April 2006

善はあるのか?・・・または、私は哲学者になりたかったのになれなかった落ちこぼれ・・・

哲学・倫理学とは、本当に役に立たない学問の癖に時間がかかる学問で、考え始めると時間ばかりが過ぎます。こんなくだらないことを考えるために、これまでの人生で、いったいどれだけ本を買い、時間を費やしてきてしまったのかと思います。誰の役にもたたないようなことを考えることに時間を費やさなければ、今頃もっとたくさん自分の分野で「業績」をあげていたに違いない、自分はやはりしょうもない人間なのかとも思います。と同時に、その時間は自分にとって、実はとてつもなく大切な時間であり、その時間がなかったら、今、自分が生きている価値が今わかっていない以上に、もっとわかっていなかったのだろうとも思います。だいたい頭の中だけで考え続けるなどということは、およそ人間以外の動物は決して行わないことで、哲学者の書籍を読むたびに、この分野は頭の良い人ばかりで、全くかなわないなあとも思う今日この頃・・・
先日のシンポジウムで、自分としてはやはりほとんどわかっていない「良心」と「良心的行動(=善行)」について話す羽目になり、結局、それなりに伝わり易い言葉を選ぶために、「世の中には、『善ではないもの』と、『偽善』しかない」と話しました。良心とは、善とは、と考え始めると、いつもとりあえずの結論として行き着くところは、世の中には善などない、善人などいないという考え方です。これはこれで、一つの割り切り方です。現実の世界の中では、とりあえずその時点、その時点で割り切りながら歩いていくしかない。でも、割り切って一歩進んだ瞬間に、すぐまた割り切れなくなって迷う、の繰り返しです。

昨年読んだ中島義道さんの「悪について」は、まさにぼくのこういう疑問に正面から答えようとしている本でした。

Continue reading "善はあるのか?・・・または、私は哲学者になりたかったのになれなかった落ちこぼれ・・・"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

過失と因果関係を分離して議論することの虚しさ

 医療者は「結果責任を問われるべきではない」、という意見を医療者側からよく聞きます。このような文脈で使う場合の結果責任という言葉は、現時点での「(ほぼ最高の)医療水準の医療を行った」が、その結果が、患者の希望するものとならない場合もあるので、そのようなケースでは、医療者は責任を問われるべきではないということです。このことは、医療行為に関する契約は結果を保証するものではなく、最善の医療を提供することを保証することだと言い換えるとわかりやすいでしょう。しかし「最善の医療を提供した」ことも、ある意味では「結果」です。そういう意味では、その部分(医療行為の提供)までの「結果」が出せなければ、責任を問われても仕方はありません。よく使われるアカウンタビリティという言葉は、説明責任と訳されるが、「結果責任」なのだという見解を黒川清先生の文で読みました。
 実際、最近の民事裁判に於いては「期待権」が重視されるようになっているそうです。「期待権」は患者が最善の医療を受ける権利で、医師の過失や怠慢で、「最善の医療を受けられない」結果になった場合、その部分までの「結果責任」を、医療者は負う必要があるということです。その後に起こった最終結果が、医療行為の結果なのかどうなのかに(因果関係論)に関わらず、医療者は「最善の医療を提供しなかった」責任を問われるということで、私はこのような責任追及ならば納得できます。
 しかし割り切れないのは、医療行為と最終結果の間の因果関係を問題にする、特に刑事罰における過失・因果関係論の議論です。たとえば、下記のような例を考えると、現状の刑事罰の体系では、結果=医療者側から見れば単なる運の良し悪しで、罪に問われたり問われなかったりします。
 もちろん、たとえば、誰かを故意に突き落とした時に怪我だけなら傷害、死んでしまったら傷害致死というのも、運の良し悪しですから、刑法はそのようなものであると思います。しかし、故意ではない業務上の過失に対して運の良し悪しで大きく罪状が変わるのは納得できません。医療においては業過傷害・業過致死以外の罪状の方が適している・・・つまり現行法は悪法だと考えます。
 なによりも過失と因果関係を分離して裁定して罰則を与えることは、医療の質の向上に役に立つとは思えません。医療者ができることは「過失をしない」努力だけです。同じミスをしても、ある人は運よく罪に問われず、別の人は運悪く犯罪者となるという不公平感が広がれば、医療者のモーチベーションが下がるだけです。また過失そのものではなく、結果が重視されるのなら、ミスを避けるよりも、ミスを起こした後、たとえば、とにかく患者が死なないように延命だけを続けたり、ミスは隠したほうが良いという気持ちになりやすいと考えます。また過失をしてしまった時に、結果が悪くなり易い、救急・外科・産科医療などに従事するのは損だということになります。
 やはり故意・悪意のない医療過誤を刑事罰で裁くことは最低限にして、別のシステムを使って医療の質を向上させないとダメだと感じます。たとえば普段の医療の中で、「過失そのもの」を厳しくチェックして公表して医療者の中で共有するようにする。そして、重大な結果につながらない場合も医療の向上につなげ、そのようなシステムの中で、結果が偶然、重大なことにつながった場合には、因果関係論にとらわれず、民事的な責任を取るというのが妥当と思います。
 (4・23追記)また、刑法の不充分な点については、刑法そのものあるいは医師法などに、「カルテ改ざん罪」「医療経過隠蔽罪」などを新設して、そのような面での「犯罪」は刑事介入することにすれば良いと考えます。そうすれば、内部告発などが必要な事例も減るでしょう。

以下、業務上過失致死罪における過失と因果論の関係に関するわかりやすいケーススタディです。

Continue reading "過失と因果関係を分離して議論することの虚しさ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2006 | Main | June 2006 »