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今年聞いた珠玉の言葉たち

今年も、いろいろな人に会って、印象深い言葉を聞きました。せっかくなので、思いつくままに、ご紹介します。順不同ですが、first in last out のスタック型メモリーなので?、日付的には、さかのぼるような感じで、最近のものが多いです。また、敢えて短く、ぼくの解釈で書いているので、本人の気持ちとは異なる部分があるかもしれませんが、こんな風に消化した(こんな程度にしか消化できなかった)ということです。

●「素心知困」 西澤潤一先生 2005.10.08.
 鹿児島の池田高校で講演された時に、揮毫して頂いた言葉です。西澤先生は、都立大学、改め、首都大学東京の初代学長に今年の4月になられましたが、その前には、岩手県立大学の建学に際して、やはり初代の学長として、この言葉を独自に作ったそうです。自分の本当にやりたいことがわかってみると、それを実現するための知識や実力がないことがわかり、初めて本当に困ることになるのだ、という意味。それから、御自分の人生を振り返って、「愚鈍一徹」という言葉も書いて頂きました。子どもたちには、「ぼくは、学校の成績は悪かったんだよ。君たちも、成績なんかにあんまりこだわらないで、やりたいことを見つけなさい。」と話されていました。

●「日本の男たちは、職場に長くいすぎ」 松山章子さん  2005.12.10.

 ユニセフ協会の熊本支部が男女共同参画社会推進のためのシンポを開いた時に、松山さんをお呼びしました。(ぼくもパネリストとして引きずり出されました?)1歳の娘さんを連れて、ネパールにまで赴任したという彼女ですが、現在は、小学生になった娘さんとご主人を熊本に残して、長崎に単身赴任中。周囲に医学部の人間が多いそうで、それを少し皮肉った言葉です。「日本の男は働きすぎ」と、月並みに言うのではなく、「だらだらと長く、職場にいるのはおかしい」という指摘。日本の男性にとって、家庭って、そんなに帰りたくない場所なんだろうかという認識を再確認?する言葉でした。このシンポは、高校生、大学生の若い男性が多かったのが嬉しかったです。彼女の話を聞き、彼女と知り合い、松山さんのような、仕事でも、家庭でも、魅力的な、素敵な女性と結婚したいと思ってくれれば、大成功かな。松山さんの著書:「女性の見えない国―パキスタン便り

●「ぼくが小説を書くのは、フェアネス(公正性)と、個人の自由のためです。」村上龍さん 2005.12.16.
半島を出よ」で受賞した野間文芸賞の受賞記念講演の中のひとこと。書き上げるのが、非常に大変で、書き終わった後も、まだ書き続けている気がするような力づくの作品だったそうです。村上さんの話を、直接、聞くのは初めてでしたが、大変、実直ではにかみやという感じの方でした。パーティで少しお話ししたら、息子さんは医学生さんとのこと。彼も「13歳のハローワーク」は、読んだのでしょうね・・・(^_^)

●「自分は、さまざまな挫折と間違いの中から、学んできました。」 上農正剛さん 2005.05.13.
 車の中で、えんえんと夜遅くまで、お話をさせて頂きました。ありがとうございました。インテグレーションを目指してきたけど、違っていたかもしれないと思うという反省の言葉などを聞かせて頂いて、障害学の奥深さ、難しさに、初めて、本当に触れた気持ちになりました。著書「たったひとりのクレオール―聴覚障害児教育における言語論と障害認識」は、素晴らしい本だと思います。スティーブン・ピンカーというと、心がタブラ・ラサではないと言う理論で知っていましたが、それが実践される場で、どう応用されるのかが、よくわかります。

●「人の弱みにつけこんで食べているのがプロフェッショナル」 加藤尚武さん  2005.12.11.
 日本のバイオエシックスの草分けとされる加藤先生が、熊大生命倫理研究会主催のシンポの雑談で話された言葉。僧職、法律家、医師は、「人を助ける」職で、専門的な知識と高度の倫理性が要求されるプロフェッショナルとされます。その職能団体に対しては、自律性が尊重され、自浄能力も期待されます。しかし、見方を変えれば、プロは「人の弱み」を商売の種にしているわけで、周囲から、厳しい目もむけられるということです。

●「生きたくないという自己決定が当然とされる世の中は、良いものなんでしょうか?」 立岩真也さん  2005.12.11.
 同じ会で。今年は、立命館大学教授で社会学者の立岩さんの話を、2回、聞く機会がありましたが、この言葉は私の要約です。この会では、「私は、今日は、これを言うためだけに、来ました。」との前置きで、「自己決定権の尊重」というのは、「疑問の余地のない既定路線」と、みなされることが多くなっているが、本当にそれで良いのでしょうか?という疑問を話されました。そして今年、発表された著書、「ALS~不動の身体と息する機械」に少し触れながら、「死にたい」という自己決定が「本心」であれば尊重するとしても、この世の中が、「生き続けたくない世の中」であるということを、周囲のわれわれが、無条件で受け入れて、何もしなくても良いのだろうか?という、大きな疑問を投げかけました。
 私自身、医師として、患者の自己決定権を阻害すると考え、過剰なパターナリズムを排除するための運動をしてきました。しかし、自己決定権を尊重しながらも、患者に生きて欲しいと願い、支持し、励まし、その方向で世の中に語りかけることも重要だと、再認識させられました。

●「嘘がつける能力を良いとするなら、嘘が倫理的に良くないというのは、変かもしれない」 北村俊則さん  2005.11.12. 
 やはり、熊大の生命倫理研究会で、ニューロエシックスについての勉強会をした時に、精神科教授の北村先生と、飲み会で話したことです。脳の機能障害や、発達障害がある人は、人を疑ったり、自分の利益になるような嘘をつけない場合があります。でも、それを私たちは、「障害」と呼び、その人に対して、治療や矯正をするとしたら、「嘘をつくことを良いこと」としているようなものだ、ということです。もちろん、能力を一面的に見た見方ですが、脳と倫理の問題を考える時には、とても重要な指摘だと感じました。

●「別の病院に行けば助かったはずの命が、毎日150人、失われている。」 埴岡健一さん  2005.12.17.
 日経メディカル編集部の埴岡さんが、2ヶ月間のアメリカ取材の報告をした勉強会で聞いた言葉。どこの国でも、どのような分野でも、良いもの、悪いものは、混在しています。しかし、「日本」の「医療」は、従来、「混ざる」ことが、大変、少ない領域でした。また、情報が公開されず、そのため、格差が非常に大きかったことは確かです。その中の、かなり悪い部分だけを、平均点まで引き上げるだけでも、毎年、数万人くらいの命が救われるかもしれない、「標準化を目指そう」というスローガンです。

●「日本の医療制度の実態は、姉歯事件に似ている」 大熊由紀子さん  2005.12.17.
 同じ会で・・・値段は安くて、とりあえずの見た目は良くて、大量に早く生産されているけれど、鉄筋が不足して、ぎりぎりの状態で持ちこたえて、何かあったときには、頼りにならない・・・それが、日本の医療やら福祉の現場なのではという指摘です。元朝日新聞論説委員、前阪大教授、現・・・覚え切れない4つほどの所属(すいません!)の、ゆきさんの話は、何回も聞いていますが、ようやく全体を理解できるようになりました。今年は、久しぶりの北欧に行かれて、最新のデンマーク事情と、21世紀になったあと、日本の某精神病院で撮った写真を比較して、20年前に指摘した違いが、まだまだ「健在」であることを教えてもらいました。というか、デンマークが、さらに進んでいるのが印象的でした。

●「一緒に住んでいないからこそ、親子の関係も強固でした」 田中弥生さん  2005.10.28.
 そのデンマークについて、熊本保険医協会の女性医師の会の講演会(男性医師も参加可!)で、イギリスとデンマークに留学した経験を話してくれた中での言葉。福祉制度が整い、大変な介護をする必要がないからこそ、家族で過ごす時間を、お互いが大切に感じることもできて、きづなが失われないそうです。弥生先生は、自治医大を出て、地域医療、僻地医療に従事したあと、海外経験も積んで、行政の世界に進みました。期待してま~す。

●「自分が当事者であるために、『私は、すぎもとよしこです』と宣言します」 杉本佳子さん  2005.12.16.
 上野千鶴子さんが、ある講演会で「私は当事者なんだからね」と叫ぶのを聞いて、さて、私は何だろうと考えたところ、とりあえずの結論として、こういう科白に到達しましたとのこと。そうなんです。私たちは、私たちの生活の中で、常に当事者として、自分のしていることの意味と、自分の生きる社会について、考え続けることが、生きる意味なんだろうと、ぼくも思います。そして、他者に対しても、名前を呼ぶことで、初めて人間として尊重することになりますね。杉本さんは医学系出版社の編集者で、今年は、睡眠に関する一緒に仕事をしてもらったのですが、とても良い言葉だと思ったので、私的な会話を公開してしまいました。ごめんなさい。

●「空港を出たら、雪がちらついていました」 新垣勉さん  2005.12.13.
 スペシャルオリンピック(来年は熊本で全国大会)のファンドレイザー・チャリティ・コンサートにて。新垣さんは、幼少時に視力を失っているので、ほとんど見ることができません。でも、雪を感じることができることは、当然なのに、沖縄出身の彼が、東京で初めて雪を「見た」時のことを語るのを聞きながら、同じ感覚をシェアできることを、少し不思議に思いながら、急に身近に感じました。彼は、自分が失明する原因を作った助産婦さんや、自分と母を置き去りに去った父親を、ずっと恨んできたのに、ある時、ふっと許すことができたそうです

●「俺たちにとって、薬の問題は命がけの問題だから。」 花井十伍さん 2005.12.01.
 花井さんとの会話は、ブログに書きましたが、命をかけて、薬を使いながら、薬を批判していくというのは、大変なことですね。

●「仮面ライダーみたいな正義の味方は、ボランティアだから疲れるんだよね」 花井十伍さん 2005.12.01.
 これも、花井さん・・・ご苦労様。でも、彼の元気さが周囲へも伝わり、また、それが彼にも返るのかとも思います。

●「魂のない肉体だけを見ることのできる時代なったのかもしれない」 永田行博先生   2005.12.12.
 鹿児島大学の学長、産婦人科の教授で、日本での先端不妊治療の第一人者の永田先生が、高校生に向かって話した中の一節。生殖医療、終末期医療、ロボット技術などの進展に従い、生死の境界がはっきりしなくなっている今、「ひととは何かを問い直す時代?」になっているのではないかと・・・高校生にはやや難しかったかもしれません。

●「私たちは、単に慣れていないだけだと思う」 ある女子中学生 2005.07.10.
 ユニセフのアフリカの子どもの日イン熊本というイベントで。アフリカからの留学生が、自分たち黒人は、日本語がとても上手になっても、なかなかアルバイトで雇ってもらえないのに、日本語は上手でない、韓国人や中国人は、見た目が日本人に似ているから、すぐ雇ってもらえる。どうしてだと思いますか?という質問に答えて。たくさんの人のいる会場で、手を挙げて答えてくれたこと、的を射た解答、それに、じゃあ、どう変えていきたかいのか?どう変えていけば良いのか?についての、しっかりした意見・・・なかなか、良かった・・・若い人の言葉に感動するようになったら、ぼくも歳を食ったということですね。

●「お父さんの子どもの頃は良かったね。携帯電話も無かったんでしょ」 中学3年の息子 夏
 彼から見ると、自分たちが、携帯電話で、友達と気楽にメールでやりとりし、インターネットを使っている環境は幸せなのですが、「それがない時代」から「ある時代」に変化する中にいたら、より「ありがたみが大きい」ので、楽しかっただろうと言うのです。でも、今以上に、「画期的に技術が変る」とは思いにくいので、自分たちは、そういう変化を、もう味わえないのではないかと、多少、悲観的に思うということです。
 実は、ぼくも、高校生の頃、両親に対して、「お父さんたちの頃は良かったね。日本が貧しくて、とりあえず働いて豊になるという、単独の価値観で世の中が一致できたから、あまり考える必要もなかっただろうから。」と言ったことが、鮮明に思い出されました。なんて、浅はかな考え方だろうと、今になって思いますが、当時は、自分の周囲や、自分自身のことを考えて、いったい何を目指して生きていくのか、何を生きがいにすべきなのかを、真剣に悩んでいました。まあ、今になっても悩んでいるのですが・・・
 また、それに、技術は、思いもかけない方向に発展しても行くとは思いますが。それにしても、考えることが親子で似ているような気がして、面白い一言でした。

他にも、いっぱいあったのですが、今年の分は、このくらいに・・・


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Comments

自分の原稿が進まない、よって一日中パソに張り付いてあっちこっちと読み拾っております。
これは!ってビビった言葉は、そのたびにメモしておくのでしょうか。
こちらのブログ、ブックマークしてもいいかしらん。

Posted by: 志治美世子 | 2006.01.08 at 06:19 PM

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