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エイズ学会の歴史的なシンポ

血液エイズの教訓・・・混乱と戦いの後に見えてくる真実を語りあう・・・

歴史的なシンポジウムが熊本で開かれました。第19回日本エイズ学会学術集会の「薬害エイズ問題から見えてくるもの」。今回の座長の三間屋医師は、昨年のエイズ学会の学会長でした。その昨年の会で、この学会としては初めて、薬害エイズ問題の反省を正面から取り上げた会長シンポジウムを開き、今回はその続きの2回目です。しかし、今回は、東京訴訟の中心となった川田龍平さんと、行政側の中心にいた郡司篤晃さんが、同じ席で話すということで、昨晩、花井さんから、この会の意義も聞いていましたし、関係者にとっても意義深い会だったと思います。以下に、簡単に内容を紹介します。

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最初に、関西弁護団の徳永弁護士が、昨年のシンポジウムを振り返った。その結論として、さまざまな立場からの見方はあったが、「産官学(産官医)が癒着して、エイズの被害が生まれた」という、いわゆる薬害エイズ神話は間違いであり、そこを乗り越えないと、真実も、今後に役立つ教訓も導き出せない、という点では、一致したと。そして、癒着というよりは、責任の所在をはっきりさせないまま、あなたまかせになっていたという方が、より真実に近いのかもしれないとのこと。また、被害が起きた後の社会は、ジャーナリズムともども、犯人探しに終始してしまい、今のその後遺症が残る。

次は、川田さん。彼は、10歳の時に、HIV感染を告知され、10年前の、20歳の時に、実名を出してカミングアウトして、薬害エイズ裁判の中心となり、もうすぐ30歳になる。生まれて半年で血友病と診断され、脳出血も2度経験し、多くの献身的な医師により命を助けてもらってきた一方で、なぜ、危険だという情報が伝えられなかったのか?なぜ、こんなに被害が起きたのに、誰も責任があると言わないのか、という疑問にずっと悩まされ、このような医師が主体の会に来ることが、いかに辛いのかを語った。また、現在、住んでいる松本市の知人には、血友病のお子さん2人をAIDSで失くされても、訴訟にも加わらず、耐えている人もいることを紹介し、被害者はお金を望んでいるわけではなく、何が起きたのかを、とにかく知りたいのだと話した。

社会学者の栗岡さんは、構築主義の社会学の質的研究について紹介し、エスノグラフィカルな研究、つまり、当事者のナラティブに基づいた聞き取りを続けることで、被害者と医療者の間で失われた関係を、なんとか回復することができるのではないか、という可能性に言及した。

血友病の専門医の白幡医師は、83年前後に、なぜ自分たちが加熱製剤やクリオ製剤へ戻るという選択肢をとらなかったかを、実に率直な回顧として紹介した。当時の彼は、濃縮製剤が発売されたちょうどその頃に、産業医大に赴任し、関節内出血などの重篤な合併症を併発している子が多いことに心を痛めた。そこで、自己注射が可能な濃縮製剤の普及を進め、そのことで、子どもたちの合併症も減り、頭蓋内出血の死亡率が下がるなど、良い結果も出ていた。また、クリオ製剤で重篤な肝炎になった子がいたために、クリオに戻ることに対して抵抗感が強かった。それらが、非加熱濃縮製剤のリスクを、低く見積もるバイアスとなってしまったこと、また、少し迷い始めた時に、アメリカの血友病患者協会が、非加熱濃縮製剤を、当面、使い続けようという宣言を出し、それを、安易に信じてしまったことを後悔しているそうだ。

エイズの問題が顕在化した後は、こられの話のどれを話しても、責任逃れのための言い訳だと批判されることから、多くの血友病の専門医が、口を閉ざしてしまった。その結果、エイズ裁判は、専門家に対する不信感を過剰にしてしまったと考える。インフォームド・コンセントは、治療法に対して、ある程度、情報が蓄積されている場合には有効な手段だが、エイズのケースのように、予想外の出来事が起きてくる場合や、開発されたばかりの薬で、効果も副作用も、予測が難しい場合など、専門家の間でも意見が別れている場合には、あまり有効とは言えない。

そして、それらの反省から、今後、同様の問題が起きた時に、医師・製薬会社・専門家・行政などだけではなく、ユーザーである患者も含めて、相手の責任を追及するという視点ではなく、同じ土台で、話し合いのできる場を作ることが、もっとも大切だと提言した。

最後に、82年から84年という、この問題の最もクリティカルな時期に、当時の厚生省で課長をしていた郡司さんが、自分のしたことを、スライドで振り返った。内容は、抄録のPDFファイルを頂いたので、このブログに添付しておく。「GUNJI.pdf」をダウンロード
こちらを参考に。ごくかいつまんで書けば、1.世界の中で、米国だけが営利企業が血液製剤を取り扱っているという特殊な状況、2.濃縮製剤という数千人分を混ぜて作る製剤が開発された時期に、米国の同性愛者の間でエイズが急速に流行したという不幸な時期の一致などが、本質的な原因である。自分の在職時に、エイズの情報は、早く入ってきてはいた。しかし、当時、日本が95%の血液製剤を輸入に頼り、全世界の消費量の3分の1を使っていた状況で、加熱処理で輸入量が3倍に一気に増えてしまうような加熱処理製剤にすぐ替えるということは、難しかった。

何よりも、「ベストと考えられている治療法に問題がありそうなことが次第にわかってきた時に、いつ、誰が、どのような根拠で、その治療を諦めるのか?」という問題を考えておかないと、同じようなことは再発するだろう。また、自分が得ていたエイズの情報は、個人的な知人を介したものであり、当時の厚生省のレベルから言えば、例外的に早かったはずで、このような大切な情報を即時的に伝達・共有するシステムを作ることが重要だ。

その後、花井十伍さんが、郡司さんに、赤十字という組織の問題を質問し、皇室をトップとする赤十字社と官僚の関係の難しさを指摘した。いくつか議論が出た中では、徳永さんの、訴訟の中では、原告側は、危険性を示す情報があったという証拠ばかりを強調し、被告側は、その反対に終始したが、その過程で、隠されたことを出さないと、真実が見えてこないという意見が印象深い。たとえば、原告側がアメリカから呼んだ証人の学者は、自分にとっても、エイズの発症率の高さは、予想外だったと話した時に、それは裁判の席では言わないで欲しいと頼んだエピソードなどである。

郡司さんは、その点に関して、リスク評価をする人間が、責任を問われる体制では、ノンリスクにばかり走ってしまう。行政の責任を追及しすぎれば、規制をとにかく厳しくする方向に進んでしまう。また、被害が補償されるまでに裁判という手段しかなく、何年もかかっては、対立の傷跡も残り、真実も見えず、何も良いことがない。無過失補償制度を確立しないといけないと話した。

なお、本日のシンポとは関係しないが、昨年のパネリストのひとり、草田央さんの下記は、郡司さんの立場や、民事・刑事訴訟の複雑な意味づけを垣間見る資料となろう。
http://www.lap.jp/lap1/nlback/nl29/nl29-4.html

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郡司さんと川田さんは、1999年に放映されたNHKスペシャル「エイズ16年ぶりの真実」での対談以来、ご一緒するのが6年ぶりだったとのことです。私は、この番組は留学中で見ていませんが、東大の助手時代、郡司さんが保険学科の教授になったため、赤門前の立て看に、彼の批判が書かれたのを、毎日のように見てきたのですが、この2人が、同席するのを見るのは、やはり感慨深いものでした。

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昨日のエントリを受け、bn2islanderさんからご教示いただいたものです。 HIV問題から何を学ぶべきか(昨日紹介した2005年12月のシンポジウムの発表原稿で、その引用文に名前が出てきた粂和彦さんのblogに掲載されています) 少しでも多くの医療関係者、そして霞が関関係者の目に留まることを祈りつつ。 ... [Read More]

Tracked on 2006.12.13 at 06:36 AM

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