抗インフルエンザ薬の使用に関する暫定見解
私の尊敬する亀田総合病院の岩田医師が、現時点での彼の見解の公開を承諾してくれましたので、以下に引用します。臨床医には、大変、参考になると思います。
わかっていることよりも、まだわからないことが圧倒的に多い中でも、臨床医は一歩も立ち止まることを許されず、毎日、判断を迫られます。わからないことは、ニュース性がないため、マスコミもなかなか報道しない中で、個々の専門家が、情報を収集し、見解を発表するのは時間的な大きな負担と勇気の必要なことですが、大切だと考えます。
>>>>>
抗インフルエンザウイルス薬の使用方法 ポジションステートメント
亀田総合病院 総合診療感染症科 Last Update 2005年12月9日 文責 岩田健太郎
・近年、インフルエンザの迅速診断キット、さらにはウイルスA、B両者に効果のあるニューラミニダーゼ阻害薬が使用されるようになり、外来その他におけるインフルエンザ診療は一変した。
・日本はタミフルなどの抗インフルエンザ薬を世界で最も使用している国である。タミフルの使用量は全世界の75%を占める。
・その実、「薬を使用している意味」については十分に吟味されていない。タミフルが多用されている日本ではすでに耐性ウイルスが出現している。
・折しも鳥インフルエンザの出現と新型インフルエンザの懸念が昨今の問題となっており、タミフルなどの抗インフルエンザ薬の備蓄の必要が叫ばれている。
・そんな中、脳神経障害とそれに続いた死亡例の報告が、タミフルを原因とするものではないか、という学会での指摘があった。
・したがって、これまでのような、「インフルエンザ陽性ならタミフル」という単純な思考法が通用しにくくなっている。
・医学的にも社会正義的にも適切かつ妥当な抗インフルエンザ薬の使用方法を確立することが急務になっている。抗インフルエンザ薬がインフルエンザという疾患に効果があることは議論の余地はない。従って、「どのように使うか」という問題は、正しい正解のある○×問題ではなく、むしろvalue question(価値判断を問う問題)といってもいい。よって、当科では「ガイドライン」ではなく、当科の立場からの意見、ポジション・ステートメントとしてこの提言を行い、院内での落としどころを模索するものである。
知られている事実
・タミフルをはじめとするニューラミニダーゼ阻害薬はA、B両方のインフルエンザに効果があり、その症状回復を早めることができる。
・また、流行時に周囲の無症状な者が使用することで発症を未然に防ぐ、「予防効果」がある。
・鳥インフルエンザに対してもin vitroでは効果が確認されている。
・タミフルをはじめとするインフルエンザ薬は長期予後改善、死亡率の低下をもたらすというデータはない。2次性肺炎などの合併症、それによる入院の減少も認められない。インフルエンザ脳症の予防効果も証明されていない。
・鳥インフルエンザについては臨床効果が確立されていない。新型インフルエンザに至っては全くデータがない(当然だが)。
・タミフルを処方されていた患者の12人の死亡が日本国内で認められ、これがFDAに報告されている。ただし、その間何千万というタミフルが処方されており、その因果関係は全く不明。再来年までデータ収集というのがFDAの下した結論であった。
ポジション・ステートメント
・外来患者におけるインフルエンザ
生来健康な小児、成人に対しては抗インフルエンザ薬を推奨しない。予後はよい疾患であり、しっかりと休養をとり対症療法を提供すれば治癒が期待できる。インフルエンザ脳症の懸念はあるが、これとて薬を飲んで予防ができるわけではない。ただし、患者・家族の強い希望があれば、これを無下に否定するものでもない。なお、本推奨は英国の主要なガイドライン作成機関であるNICE(National Institute for Clinical Excellence.)のものを踏襲している。
免疫抑制者、慢性の呼吸器疾患、心疾患、腎疾患、肝疾患などを有する場合はリスクと利益を勘案してケースバイケースで対応する。ただし、この場合も、原則として迅速検査で陽性になった確定例を治療の対象とすべきである(発症初期で検査感度が低い時をのぞく)。高齢者が冬季にインフルエンザ様疾患の症状を示した場合、それがインフルエンザウイルスが原因であるケースは20%以下である。冬のインフルエンザ様疾患の半数以上はライノウイルスが原因である。
通常のインフルエンザと鳥インフルエンザの鑑別は極めて重要である。鳥インフルエンザの場合、迅速検査も偽陰性に出やすい。旅行歴、職歴などの丁寧な病歴聴取が必須となる。
・入院が必要なインフルエンザ
タミフルを5日間処方する。本人の治療の目的と周りへのアウトブレイクを予防することを期待してのことである(ただし、「患者」へのタミフル処方が感染性を減らすかどうかは実証がされていない)。
・曝露後予防
従来は、病棟でインフルエンザ患者が出た場合、曝露後予防のタミフルを接触者には推奨していたが、今後は備蓄の問題もあり、強くは推奨せず、インフルエンザワクチン未接種者およびインフルエンザワクチンを2週間以内に接種したものに限定する。
ただし、インフルエンザワクチン接種者内での発症があり、アウトブレイクの出現、拡大が懸念された場合はケースバイケースの対応をとる。曝露後予防は流行期間中続けられるが、通常1週間程度であることが多い。タミフルによる予防効果(efficacy)は87%であったというデータがある。
・鳥インフルエンザ
タミフルを患者およびケアする医療従事者に処方する。この場合は、リスクの大きさを考えて、インフルエンザワクチン接種の有無は問わない。タミフルの使用期間は臨床経験を欠いているためにケースバイケースで総合診療感染症科の協議により決定する。
・新型インフルエンザ
タミフルを患者およびケアする医療従事者に処方する。もし感染拡大が甚大なものになれば、予後不良の重症患者にはタミフルを「処方せず」周囲の感染防止によりウエイトを置いて、比較的軽症、中等症の患者および医療従事者に分配する。いずれにしても、パンデミックが起きると早晩タミフルが枯渇する可能性が高い。
なお、上記の前提として、インフルエンザワクチンの積極的な活用が望ましい。インフルエンザワクチンは65歳以上の全ての人、慢性疾患を持つもの、免疫不全のあるもの、アスピリンを長期に服用している患者、医療従事者など上記のリスク因子を持つものと接触を密に持つものに強く薦められる。米国のガイドラインに推奨のある「妊婦」と「50歳―65歳未満」、小児についてはefficacy(発症防止)データはあるもののeffectiveness(予後改善)のデータがない。従って、当科としてはこれらに対するワクチン接種を主治医の自由裁量権の範囲内と考える。その他の集団についてもワクチン接種は主治医患者間で決定すればよいものと考える。妊婦に接種する場合は第一三半期を避けることを原則とする。
余談ではあるが、日本における「接種要注意者」のカテゴリーは全く妥当性を欠いているため、当科としてはこの遵守を推奨しない。例えば、基礎疾患を有するものや過去にけいれんの既往のあるものは「要注意」とされているが、むしろ積極的に予防接種の恩恵を受けるべき対象であり、リスクマネジメントの方向性が適切ではない。インフルエンザワクチンの絶対禁忌はこのワクチンに対するアナフィラキシーの既往であり、卵に対する重篤なアレルギーのある患者がこれに準ずるものとなる。それ以外の絶対禁忌はない。
インフルエンザワクチンの接種は1シーズン1回でかまわない。小児に対する予防接種の回数については異論も多いために当科としてはとくに意見を持たない。
以上のポジション・ステートメントはあくまで「原則論」であり、個々の症例においてはそれぞれ特殊な事情が生ずることを当科は認識・了解している。あくまで臨床上のコンテクストから判断して利用されることを希望する。
参考文献
Salgado CD et al. Influenza in the acute hospital setting. Lancet Infectious Diseases 2002; 2: 145-55
Jefferson T. How to deal with influenza? BMJ 2004; 329:633-4
American Academy of Pediatrics. Redbook. 26th ed. 2003
木村三生夫ら。予防接種の手びき 第十版 近代出版 2005
Armstrong BG et al. Primary Care. Effect of influenza vaccination on excess deaths occurring during periods of high circulation of influenza: cohort study in elderly people. BMJ electrical publication 15 August 2004. doi:10.1136/bmj.38198.594109.AE Nicholson KG et al. Influenza. Lancet 2003; 362: 1733-45
National Institute for Clinical Excellence. Guidance on the use of zanamivir, oseltamivir and amantadine for the treatment and prophylaxis of influenza. Technology appraisal guidance, no 58, February 2003.
http://www.nice.org.uk/pdf/58_Flu_fullguidance.pdf last accessed December 9, 2005
Rosenthal E. Avian flu drug set off alarms. International Herald Tribune.November 22, 2005
Kiso M. et al. Resistant influenza A viruses in children treated with oseltamivir: descriptive study. Lancet 2004; 364:759-764
The comments to this entry are closed.
Comments
インフルエンザに、これほど多くの薬を使うのは、どういうわけでしょう。
貴重な情報、ありがとうございました。トラックバックのやり方がわからないのですが、ブログ紹介させていただきました。
Posted by: medwriter | 2007.03.05 09:13 PM