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着床前診断について#3

以下に紹介したシンポジウムの簡単な感想である。なお、筆者による私的なまとめは、当日の話の内容を網羅していないため、より興味をもたれた方は、お2人の著書などを読むことを勧める。

児玉先生と宮川先生は、好対照な論理展開で話をされた。

児玉先生は、現行法、現在の日本・世界での生殖医療・中絶などの状況、市民の意識調査など、現状を基盤に、「着床前診断(以下PGD)」という一つの技術の「現状」での「倫理的な位置づけ」を整理され、PGDの中でも医学的な適応によるものは、倫理的に認めうるという、私見を述べた。私は倫理学・哲学の素人なので、正しい用語は知らないが(注1)、現実からのボトムアップの議論だと思う。

宮川先生は、自然法(理法)的な立場から、命に対する基本的な考え方を述べ、(どのような状況下でも、どんな技術的進歩・文化の違いがあっても)普遍的に守るべきものがある、という考えのもと、例えば、体外受精そのものも、基本的には自然悪(malum morare)であり、なるべく避けるべきであり、PGDは、その受精卵(後の胎児)自身の役にたつものを除いて、すべて生命の選別につながるから倫理的に許されない、と述べた。全てのものに優先する何らかの重要なものがある、という前提に立つため、私には、トップダウンの議論と感じた。なお、トップダウンである宮川先生の議論の中でも、倫理的には自然悪(malum morale)であるが、相対的には認められる、という考え方が出てきた部分を、私自身は興味深く感じた。もし、このような相対的な考え方を一切認めず、all or none であれば、逡巡する必要はなく、良い意味では悩まない、しかし悪く言えば、簡単に思考停止に陥るのだろう。

また、各論だが、宮川先生は、PGDで遺伝子の異常が見つかった場合に、その受精卵を破棄するのではなく、「治療するのなら、認められる」と述べたが、これは、医学的には受精卵の遺伝子治療を示唆するため、PGDによって選別するのとは異質の問題があり、どちらかといえば、PGD以上に、一般的には倫理的な問題が大きいと考えられていると思う。さらに、PGDの倫理面での問題点として、ある遺伝子疾患の選択的排除を行うことは、既にその疾患を持って生きている患者・障害者の人権を侵害するという可能性が常に指摘される。しかし、では、それを遺伝子レベルで治療してしまうことは、「排除ではないから、人権の侵害にはあたらない」という論理になるのだろうか・・・このあたりの論理構造は、私自身には、うまく理解できなかった。


ボトムアップの議論の欠点は、単に事実を並べて、どちらが、どのくらい良いとか悪いとかを比べながら、絶対的な基準なく、倫理的な判断をしてしまうことで、よって立つには心もとない気がする。児玉先生の議論を聞いていて、私自身は、小浜逸郎さんの倫理(次項で紹介)を思い出した。倫理、というよりは、倫理的な考え方の指針、という感じか・・・しかし、良い点は、現実の医療現場で起きている問題に対して、直接の当事者が納得しやすい結論を導き、賛同・合意も形成しやすいことだろう。

トップダウンの議論は、ちょうどこの逆で、何か普遍的な価値観を最初に決めてしまえば、後の判断で悩むことが少ない。そのため、倫理的な一貫性は保てる。しかし、欠点は、現実社会が、その普遍的な価値観に基づいて作られているものではない以上、現実との整合性が低くなる。その狭間で悩む人にとっては、あるいは、その「普遍的な価値観」そのものを否定する人にとっては、受け入れがたい議論になりやすい。

一般論的に乱暴な議論をすれば、トップダウン的な発想は、倫理学を考えたり、大きな方針を作るためには良いのだが、個々の各論に落とし込んで、個々の事情(私が「状況」と呼ぶもの)に、適応するには、無理が起きやすい。トップダウンで決めたことは、個々人に「勧奨」はできても、「強制」はしにくい、と思う。児玉先生が、PGD慎重論者の人に対して、「では、あなたは、実際にPGDを希望する患者さんに対して、時間をかけて、それが倫理的に良いことではないから、あきらめるように、説得できますか?」と尋ねていたのが、印象的だった。ただし、これも、説得することはできない=>だから、それは良いことである、というのとは異なる。以前書いたように、道徳的に、あるいは、倫理的に良いことが、個人の望むことと一致するとは限らないからだ。

現実問題として、受精卵は、体外受精時には、通常、複数が作られ、そのうちの1-2個を子宮に戻す。この時に、実際には、目で見て、大きさや形の良いものを選んで、子宮に戻す。だから、ある程度の受精卵選別は必ず行われている。その操作に、PGDは、遺伝子診断をつけ加えて、選ぶ精度を上げただけという見方もある。習慣性流産のPGDの場合、遺伝子的に異常がある受精卵は、ほとんど着床しないので、死んでしまう運命にあり、それを捨てることは生命を毀損することにはならない、という見方もある。多くの人にとって、直感的に、中絶とPGDでは、後者の方が倫理的問題が少ないと感じるのも事実だ。これらは、当事者であれば、体感的に感じるものであるが、当然、その意味を、より深く考えれば、また違った見方も出てくる。哲学も倫理学も、どこまで、どういう形で、つきつめて考えるかで、結論が変わりうるのが、難しいところだ。

たとえば、PGDを刑法で禁止する、つまり、受精卵を壊す行為は、堕胎罪・殺人罪レベルの行為だ、とするほど、PGDが倫理的に悪いと考える人は、日本では少ないだろう。また逆に、たとえば、両親の嗜好による子供の能力の選別や、男女の産み分けに対して、PGDを無制限に認めて良いという考えを持つ人も少ない。とすると、各論的な倫理的妥当性を、今後も議論しながら、妥協的な結論を模索し続けるしかなく、現場の人間は逡巡を続けるのだろうと思う。PGDに賛成・反対する議論は、この二人の考え方だけではないが、原則として、なるべく避けた方が良い技術としてではあっても、今後、日本でも広まっていく可能性が高いという印象を持った。


なお、各論的には、さらに詰めるべき点はいくつもある。たとえば、一部の医学的適応(追記:注2)のあるPGDを認めたとしても、医学的適応については、議論がさらに必要である。実際、今回の討論の中でも、PGDに対して慎重派の宮川先生も、習慣性流産に対して行われる場合に限れば、倫理的な問題を最小限にする方策もあるという意見を述べていた(その方策に、私自身は、疑問があったが・・・)。また、自己決定権との関係では、PGDを認めることが、胎児、子供の人権(追記:注3)よりも、親の自己決定権を上位に置いてしまう考え方につながりうることは、常に認識すべきである。また、自己決定という以上、下記の成功率の低さ、また、一部に大きな倫理的問題があると考える人もいる現実なども、きちんと事前に説明されるべきだろう。

PGDは、これまで世界レベルでは4700例ほど行われ、4000例近くが胚移植されたにも関わらず、出生数が750例程度とのことである。このことは、倫理学的な議論以前に、医療者側にとっては、80%以上の、出生できなかった場合のケアの方が、より重要になる。(私たち医療者は、常に敗戦側に、より心を配ることになるため。)つまり、現実的には、PGDを行っても、出産にいたらない場合が多いわけで、特に不妊治療目的でPGDを行った場合、「できることは、全てしましたが、現代医学では、あなたの問題は解決できません」と、患者さんを投げ出すのでは、それは単なる「医学」であって、「医療」ではない

癌治療を議論する時にも、全く同じ問題を感じるが、治療を積極的に進める(確率は低くても、治療を試すことを勧める)立場の人は、治療のすべがなくなった場合に、敗北感を患者に与えがちである。あるいは、それを避けるために、結局、次から次に治療を続けることのみで、患者に生きがいを与えがちである。(なお、治療に慎重だから、そうではないとは限らない。逆また真ならず。)

不妊治療も同じで、現代医学が、全ての不妊患者に出産を約束できるものではない以上、確率は低くても、どこまでも、治療を続ける、という発想のみではなく、子どもを持つことだけが、人生のすべてではない、という視点を、患者に持ってもらうことも、必要になるわけで、『スピリチュアルなケア』(追記:注4)が、必要になる。その場合、倫理学的にも、自己決定権・個人主義に立脚したものよりも、「ケアの倫理」に立脚する考え方が、より適切となろう。(この部分、やや論理に飛躍があるが・・・)


#この文は、慎重派の人間が読めば積極派的に、積極派の人間が読めば慎重派的に読める、つまり、どちらからも、コウモリのように思われそうだ。ただ、私は、この問題に関しては、現場で逡巡する人に寄り添う立場を取りたい。

【以下、追記】

#注1:不勉強な私は、トップダウン、ボトムアップ、という言葉は、倫理学用語として使われていないのかと思ったら、ロールズの「反照的均衡 (reflective equilibrium)」という概念をわかりやすく説明するために、生命倫理研究会を主宰する高橋隆雄先生も、使われているので、あながち間違いではなかったようである。

#注2:医学的適応、という言葉は、医者にとっては、日常的に使う言葉だが、一般の方にはわかりにくいようだ。また、ここでは、通常の医療現場で用いられる適応(indication)よりも、さらに複雑な意味を持つ。つまり、日常的な医療現場で適応がある、ない、というのは、その治療が、医学的に妥当かどうかを示す。つまり、癌が見つかった時に、手術で取れば、治癒・充分な延命が期待できれば、「手術適応がある」と、表現するが、手術をしても、他に転移もあり、かえって余命を短くする可能性が高いと判断すれば、「手術適応がない」と表現する。しかし、ここで言う「医学的適応」は、「その治療を医学の対象の範疇として考えて良いか」という価値判断を含む。たとえば、個人の嗜好で、平均的な高さの鼻を、極端に高くする手術を希望する場合、鼻が平均的な高さ、であることは、「病気ではない」ので、医学・医療の対象とは考えにくく、その手術に医学的適応があるとは、みなさない。しかし、生まれつき、鼻に欠損があり、呼吸に異常を来たしている場合、それを形成することは、医学的適応があるとみなされる。

#注3:胎児の人権、という言葉は、誤解を招くかもしれないという指摘があった。また、今回のシンポジウムで、宮川先生=>児玉先生(間違っていました。2006.1.5.修正)が強調していたのは、胎児と前胎児(embryo と preembryo)を区別すべきだという視点である。つまり、受精後14日以後は、胎児であるが、それ以前は、前胎児と呼ぶべきだという意見だ。そして、胎児は、後に完全な人間になる前段階として、かなり慎重に保護されなければいけない存在であるが、前胎児は、それよりも、さらに前の段階であり、保護(倫理的配慮)は、胎児よりも少なくてよいという立場である。

#注4:医療においては、治療=キュア(cure)だけではだめで、ケアも重要だ、という意見が、最初に唱えられた。次に、ケアの中でも、身体的なケアだけではなく、精神的なケアも重視されはじめた。そして、最近になって、精神的なケアに加えて、スピリチュアル(良い訳語がないので私はカタカナを好むが、霊的と訳す人もいる)なケアの重要性が指摘されている。英語では、精神的=メンタル(mental)で、スピリチュアル(spritual)と区別できるが、日本語では、どちらも、「こころの問題」の中に含まれる。
たとえば、私の専門分野で、眠れない不眠症の原因として、もし、どこかが痛くて眠れないのなら、身体的ケアが必要である。また、辛いことがあって、落ち込んでいて眠れないのなら、精神的ケアが適する。しかし、生きがいがない、とか、やりたいことがなくて、やる気がでない、というような問題を抱える人は、決して、精神的な問題とはいえないわけで、「スピリチュアルな問題」だと言えると思う。下記のHPは、参考になる。

スピリチュアルケアについて
http://www.jmcnet.co.jp/sprit/

人間のスピリチャルの次元とは、存在の意味を見つけだしたいという生の次元を表し、そこにおいてわれわれは  〈聖なるもの〉に応答するのである。端的なのは、末期の患者さんにおける、なぜ私は・・・
正解となる答えはないが、そうしたとき誰しも抱く問いです。自分の存在の意義、病気の意義への問いかけがおこり、死の不条理を嘆き、意味を問いかけることとなります。誰に向けられているかは、自然科学の方法論では答えられません。人間を越えたもの対して、もしかしたら、自分自身に向かった問いかもしれません。

(7月27日、草稿、叩き台レベルで、とりあえず公開=>8月23日、ほぼ最終稿)

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